波多野澄雄(筑波大学)
米国立公文書館(NARA)はアポロ計画にも匹敵する大事業に取り組んでいる。それは幾何級数的に増大する電磁的公文書を永久保存する電子文書館システムの構築であり、2010 年までに運用を開始する。電磁化された文書の寿命はIT 技術に左右され、紙やマイクロフィルムよりはるかに短い。文書管理には、「原秩序」を維持し、コンテンツだけでなく背景(context)を残すことが重要とされるが、これらの課題をも克服しようとしている。これを可能としているのはIT の進歩だけではない。政府の営みを検証し、説明責任を果たす場としての情報公開制度と文書館制度の定着がその背景にあり、二つの制度が政府の情報戦略にしっかりと位置づけられているからでもある。二つの制度が未熟な社会でe-Japan 戦略や電子文書館の成功はあり得ない。近隣諸国との歴史資料の共有をめざし、画期的なデジタル・アーカイヴズとして発足したアジア歴史資料センターの事業もやがて行き詰まることになろう。
政府もようやくそのことに気づき始めたようだ。まず2000 年に国立公文書館法を施行した。1971 年に設置の国立公文書館は、歴史資料として重要な公文書を集中保存する機関であったが、十分にその権限を行使することができず、省庁文書の公文書館への移管は散発的、非系統的になされていたが、国立公文書館法はそれに法的根拠を与えた。
もう一つは「知る権利」よりも「説明責任」を強調した2001 年の情報公開法の施行である。「原則は全て開示、非開示は例外」という趣旨のもとに、現用の行政文書であっても請求によって閲覧が可能となった。各省庁は「行政文書ファイル管理簿」の作成とその公開が義務付けられ、情報公開法の不開示情報に該当する場合を除き、求めに応じて開示しなければならなくなった。
いずれも運用が始まったばかりで不備も多い。国立公文書館法が施行されたとはいえ、各省庁の保存期間が満了した行政文書が直ちに公文書館に移管されているわけではない。実際には移管基準が曖昧で、選別評価は省庁まかせであり、公文書管理法の制定が必要とされ、それに向けて活動する超党派議員連盟も2004 年末に誕生した。情報公開法についても見直しが行われている。
二つの制度の運用開始にともない、外交文書の公開と利用の状況も大きく変わろうとしている。元来、外務省は情報公開に最も熱心な官庁であった。大正末期の幣原外相時(1924 年)には、「国民外交」を標榜して英仏並に外交文書の公表を率先し、当時の最大案件であった排日移民法問題に関する外交文書を編纂刊行している。1936 年からは、戦時を除き日本外交文書の編纂刊行を今日まで続け、1976 年からは「30 年ルール」に基づき戦後記録の公開を断続的に進め、2003 年までに18 回に及ぶ。情報公開法の施行後は、外務省改革の一環として、同法への積極的対応と外交記録公開の迅速化を重点施策に掲げている。アクション・プログラムには「30 年を越えた記録に中から歴史的資料として価値の高いものを選定し、迅速な審査を行い公開する」と明記され、その作業は外部の歴史家や外交専門家を含む「外交記録公開選定委員会」があたることになっている。この選定委員会の本格的始動はこれからのようだが、情報公開に受動的に対応するだけではなく、自ら進んで重要文書を外部の意見を入れつつ選定・公開するという積極的な姿勢を示していよう。
この間、一段とその役割を高めたのは外交史料館である。同館は国立公文書館や宮内庁書陵部と並んで、保存期間が満了した行政文書のうち、歴史資料として重要なものを保存し、公開する国の行政機関として指定された。同省制定の文書管理規則により、「永久保存」に指定されている文書も30 年を経過した時点で見直し、廃棄又は外交史料館に移管することになった。現状では、何を廃棄し、何を歴史的文書として保存するか、その判断を全面的に任されてはいないが、やがて同館の専門職員が移管の適否について適切な判断を下しうる立場が保証されることになろう。細田官房長官の諮問会合が提言したように、他国にならい、保存期限の満了前に省庁横断的に公文書を集中管理し、評価と選別を行う「中間書庫」案が実現するのであれば、外交史料館は外交記録についてその役割を担うことにもなろう。こうした変化を見通した同館の拡充が望まれる。
ところで、外交や防衛問題に関する開示請求は、国内行政とは異なる壁がある。情報公開法は、三つの「おそれ」による不開示を正当化している。(1)国の安全が害されるおそれ、(2)他国との信頼関係が損なわれるおそれ、(3)交渉上不利益を被るおそれ。高度で専門的な政策的判断を要する三つの「おそれ」の有無を誰が下すのが妥当か、といえば外務省や防衛庁でしかない。従って、この種の請求が不開示となり、これを不服として情報公開審査会に異議を申し立てた場合、「行政機関の長の第一次的な判断を尊重し、その判断の合理性の当否を審査する」ことになっている。日ロ(ソ)領土交渉がその典型であり、審査会の審査記録によれば、つまるところ「日ソ共同宣言をどう読むか」が現在の争点である、との外務省の主張を覆すことは難しい。
ただ外務省は「おそれ」の範囲を広めに考える傾向があり、請求者との間にギャップがある。審査記録によれば、2003 年度の不服審査案件876 件のうち外務省は22 %に達し、行政官庁では最も多い。そのうち、外務省の判断が全面的に妥当と審査会が認定したのは29 %で他官庁に比べると少ない。2004年度には50 %近くに上昇し、ギャップは埋められつつあるが請求者側にも工夫が必要である。その一つは、請求者の利益を保証しつつ、開示請求に関する情報交換ネットワークをつくることである。二つめは、開示請求を念頭におきつつ、特定のテーマ設定による共同研究組織をつくることである。これらは外務省の積極的な公開姿勢と矛盾するわけではなく、公開システムの運用効率化をサポートするものとして、また両者が情報公開制度に習熟するためにも、むしろ望ましいものであろう。
2004 年度研究大会は10 月15 日から17 日の3日間、2002 年度に続いて、兵庫県淡路島の淡路夢舞台国際会議場で開催されました。参加者数は合計557 名でした。内訳は事前登録者396 名、当日登録者161 名でありました。まずは、御参加いただきました会員各位に御礼申し上げますと共に、研究大会が無事に終了しましたことを御報告申し上げます。
本州と橋で結ばれているとはいえ、淡路会場は島にありますので、会場へのアクセスが限定されます。特に今年は上陸台風数が非常に多く、大会期間の前週末に台風が上陸したこともあり心配しておりましたが、杞憂に終わりました(大会開催の次週にはまた台風が上陸しておりました)。
研究大会の運営につきまして、大会期間中の作業はかなりマニュアル化されております。マニュアルがありますと、大会補助をお願いしておりました神戸大学法学研究科及び国際協力研究科の大学院生の皆さんにも、心理的余裕が生まれてきます。院生の皆さんには「問題発見は積極的に、問題解決に当たっては慎重」をモットーに行動するようにお願いしておりましたが、パフォーマンス・レベルが非常に高く、大会実行委員長が手持ち無沙汰の時間もかなりありました。他方で対照的に、準備段階では多くが手探り状態でありました。大会実行委員会と他の委員会との関係(所掌と裁量)、準備作業日程などのマニュアル化によって、その辺りの心労はかなり軽減されるものと考えます。今後の課題としまして提起させていただきます。
研究大会の開催に際しましては、下斗米理事長、李事務局長を始めとしました運営委員会、企画・研究委員会、一橋事務局の皆様、会場及び近畿日本ツーリストの担当者には本当にお世話になりました。改めてこの場で御礼申し上げます。ニューズレターの原稿を書きながら、研究大会が会員の皆さんの研究活動にお役に立ったであろうかと自問しております。もし少しでもそうでありましたならば、大会実行委員会としましてはこれに優る喜びはございません。
(大会実行委員長・月村太郎:神戸大学)
本部会では3 つの報告がなされた。浅野亮会員(同志社大学)の「『平和的台頭』と中台関係」、滝田賢治会員(中央大学)の「中台関係とアメリカ」、そして門間理良会員(文部科学省)の「台湾側から見た中台関係の現状」である。討論者は阿部純一会員(霞山会)が、司会は中居良文会員(学習院大学)がつとめた。この部会の特徴は、中国、台湾、そしてそれらの背景にあるアメリカに分析の軸足を置いた三人の論者を揃えたことにある。中台関係を通常の二国間関係の枠組みを越えて、より立体的に論じたいという企画委員の意図は基本的に充足されたと考える。三人の報告者は三者三様の中台関係論を展開したからである。
浅野報告はその副題に「米中台関係のダイナミズムと中国の国内政治過程」とあるように、中国の胡錦涛指導部体制が成立したことによって中国の対台湾政策が受ける影響を、台湾政策決定過程の観点から分析した。浅野報告によれば、胡錦涛の側近たちが打ち出した「平和的台頭」論は、中国のリーダーシップがカリスマ型から制度的・調整型へと変化しつつある兆候であり、増大する中国の国力への自信の反映である。
滝田報告は、中台関係を中米関係というより大きな関係の流れに規定される関係として捉えた。滝田報告によれば、米中関係は経済、軍事、人権の三大イシューに加えて、台湾問題、なかでも「一つの中国」論を巡って変遷を遂げてきた。しかし、911 事件以降、アメリカは中国の多国間協調主義を歓迎し、経済的相互依存関係が進展するなかで、台湾問題を「セメント化」しようとする動きも出てきた。
門間報告は、中台関係は中国とアメリカの国内政治動向に加えて、台湾の国内政治によって大きく規定されると論じた。経済的には中国への接近をはかりながら、政治的には乖離状態を続けるというのが李登輝以来の台湾の基本政策であるが、門間報告は陳水扁政権が最近「積極開放、有効管理」へと踏み出したことに注目した。中台関係は既に質的変化を遂げており、中米関係の動向によっては枠組みの根本的変化もありうると門間報告は指摘する。
このように、三者三様の論が展開されたが、討論者の阿部会員が指摘した如く、三者の現状認識に基本的な齟齬はなかった。これは、良く言えば「まとまり」のあったセッションであったと言えるが、悪く言えば「中国屋」同士のやや専門性の高い内輪の議論が中心となったとも言えよう。今後の発展のために、中国研究以外の領域の研究者諸氏の積極的参加を期待したい。
(中居良文:学習院大学)
楠綾子会員の「吉田内閣の安全保障政策―日米の戦後構想・安全保障構想の相互作用のなかで」、柴山太会員の「海上自衛隊創設への道1950-54―日英米の3 カ国パースペクティブから」、および佐道明広会員の「戦後日本防衛政策における『自主防衛論』と『安保中心論』」の3 報告があり、河野康子会員と道下徳成会員からのコメントを聞き、多数の会員の出席を得て議論が交わされた。
楠会員の報告は、吉田茂の安全保障問題への考えを直接的に解明する一次資料が乏しい中で、当時活躍していたアメリカと日本で議論されていた様々な構想との関連で吉田の位置づけを試みた。その際、アメリカ側のアクターとして通常扱われるマッカーサーやケナンのほかに「ウイルソン的リベラルの思想の持ち主であるジェサップ」を、日本側では横田喜三郎や有田八郎、芦田均や小泉信三らを取り上げた。結局、国際安全保障に対して日本は非軍事面で、アメリカは軍事面でそれぞれ貢献するという関係を作りあげたのが吉田であった。吉田は本格的な軍事力整備は講和後時期を見て行えば良いと考えていたが、間もなくアメリカが日本の政治的安定重視へと政策をシフトさせた結果、吉田の消極的軍備論が定着していくと見る。
柴山報告は、海上自衛隊創設へと至る政策決定過程を詳細にあとづけたもので、国際的には日本の海軍力復活を懸念するイギリスの役割を強調した点が、国内的には本格的な海軍力復活を望む野村吉三郎らのグループに対してより控えめな目標を追おうとした第2 復員局の吉田英三元海軍大佐らのグループとの間の綱引きに特に注目した分析を提示した点が新しい。
講和前後の時期(50 年代初期)に的を絞った前の二つの報告に比べて、佐道会員の報告は、80 年代に至る長期的な展望の中で日本の安全保障政策を、「自主防衛」派と「安保重視」派との対抗軸を使って分析して見せた。
以上の3 報告に対して河野会員は歴史的な見地から、道下会員は現代的な政策課題との関連に重点をおいてコメントした。論点は多岐に渡ったが、全体を通して「国際派」と「国内派」との間の綱引きというテーマが存在していたと言えよう。日米関係だけではなく、英豪などの他のアクターの役割にも注意を払うことでより広い視野が開かれた点が他の特徴であった。自衛隊創設50 周年を迎え、この分野での本格的な研究の気運が生まれてきたようである。
(渡邉昭夫:平和安全保障研究所)
総勢25 カ国の大所帯となった拡大EU は、対内的には統合の求心力を維持するために憲法条約を制定し、対外的には新しい近隣諸国との関係構築に向けて動き始めている。本部会はそのような拡大EUが抱える2 方面の課題を取り上げた。
まず庄司克宏会員(慶應義塾大学)が「欧州憲法条約とEU の制度設計―立憲的多元主義の見地から―」と題し、欧州憲法条約の制定は、司法プロセスにより実質的憲法の意味で「憲法化」されたEU/EC条約が、政治プロセスすなわち欧州諮問会議と政府間会議(IGC)により改正されて、従来の実質的意味の憲法内容を一部条文に取り込む形で「再憲法化」したものであると指摘した。更に、欧州憲法条約はOutput Legitimacy とInput Legitimacy の両方の強化を行っており、加盟国の憲法との関係は、立憲的多元主義に基づくとの見解を表明した。
続いて、宮本光雄会員(成蹊大学)が「欧州憲法の思想と課題」と題し、欧州憲法の制定はEU の正当性を強化し、EU 機構の運営・表決方法を「効率化」しながら、国際舞台におけるEU の行為能力を高めることを目差したものであるが、新しい加盟国間のパワー・バランスを確立しながら理事会表決方法の「効率化」を図ること、および、「柔軟な」統合方式によって安全保障防衛分野の統合を進めながら、EU の世界的な行為能力を高めようとする目標は拡大EU の課題として残ることになったと評価した。
拡大EU の新しい近隣諸国との関係については、まず司会者の小久保康之(静岡県立大学)がEU
の欧州近隣諸国政策(ENP)について簡単な現状説明を行った。それを受けて六鹿茂夫会員(静岡県立大学)が「欧州近隣諸国政策におけるEU
− WNIS −ロシア関係」と題して、EU 拡大後のENP の成否の可能性について、EU
の対西部新独立国家(WNIS)政策、WNIS の対EU 政策、WNIS −ロシア関係、EU
−ロシア関係の4 点から分析を加え、暫くはENP をめぐって相対立する諸要因がせめぎ合う過渡期の状況が続くことは避けられず、中東欧で得られたEU
拡大効果をENP に期待することは難しいであろうと結論づけた。(br> 次いで、蓮見雄会員(立正大学)が「欧州近隣諸国政策とロシア」と題して、ENP
は「分断のない欧州」を目指す戦略であり、「地域的国際公共財(単一市場、ユーロ、安全保障)」の提供によって近隣諸国の「自発的ヨーロッパ化」を促し、「地域的グローバルガバナンス」を創出しようとする試みであり、その枠組みの中でロシアとの関係も現実的な利害について率直に協議する段階に入ったと指摘した。
討論者の小久保、フロアーの植田隆子会員(国際基督教大学)、福田耕治会員(早稲田大学)、羽場久
子会員(法政大学)などから報告者に対して、コメントと質問が出され、活発な議論が交わされた。
(小久保康之:静岡県立大学)
部会9 日韓国際政治学会合同シンポジウム E-Democracy: Korea and Japan
1997 年から始まった韓国国際政治学会(KAIS)との交流プログラムの一環として、今年の研究大会にも韓国側の代表団を招聘し、”E-Democracy: Koreaand Japan”をテーマに合同部会を開催した。当初3名の招聘を予定したが、Ahn, Chung-Si 会長(ソウル大学)が急病のため出席できず、司会および韓国側討論は、Yoon, Young-O 次期会長(国民大学)が務めた。アクシデントにもかかわらず、近年新たな政治現象として注目されている「電子民主主義」の現状について、日韓両学会の研究者による実証的かつ独創的な報告に触発され、約20 名の参加者を交えて、充実した討論が展開された。
まず、韓国側報告者Kim, Yoo Hyang 氏(韓国国会図書館)は、インターネットなどIT 技術の新たな手段が、韓国の政治状況に大きな影響を及ぼしている点を強調した。2002 年の大統領選挙時の「盧武鉉現象」に加えて、Kim 氏は、今年の大統領弾劾反対運動の高まりの過程で、電子掲示板(BBS)を通した議論が高い水準を示した点に注目し、インターネットが新たな政治教育の場となり、「討議民主主義」の基盤となる可能性を積極的に評価した。続いて、日本の電子民主主義の現状については、岩崎正洋会員(杏林大学)と高木聡一郎氏(NTT データーシステム科学研究所)が共同報告を行った。岩崎・高木報告は、978 の自治体と445 のNPO に対する設問調査結果を踏まえて、日本の場合、IT 技術の導入が行政と市民社会との協調を容易にし、行政サービスの拡充とともに、市民の政治(行政)参加を促進する効果がある点を強調した。
日韓の状況を手際よく紹介したこれらの報告に対し、まず、日本側の李鍾元会員(立教大学)は、電子民主主義が「電子ポピュリズム」に転化する危険性、IT 技術の導入が既存の政治状況や文化を反映している状況(政治重視の韓国と、行政中心の日本)の解釈などを指摘し、討論を行った。韓国側のYoon氏は、インターネット使用の大部分が非政治的な目的に向けられる事実や、弾劾問題も地域対立など伝統的な要因の比重が大きい点などに触れ、IT 技術の影響を過大評価する傾向に疑問を呈した。
参加者からも、日韓の状況の相違の理由、世代間のデジタルデバイドによる政治参加の格差、IT 技術の普及による政治文化そのものへの影響などの質問4がだされ、実態の紹介とともに、踏み込んだ議論がなされた。
日韓合同部会では、これまで日韓の二国間の関係にかかわる問題を取り上げることが多かった。その点で、共通の現象を比較の視点からアプローチした今年の企画は新しい試みだったが、両学会側の報告者がともに日韓両国の事情に詳しいという条件にも恵まれ、大変実り多いセッションとなった。
(李鍾元:立教大学)
本部会は、国際社会を対象とする学問としての国際政治学と国際法学の対話と相互刺激をめざして企画された部会である。いうまでもなく、過去の優れた国際政治学者の多くは、国際法の知識を前提に、あるいは国際法のアプローチを批判しつつ、自らの政治学的研究を進めてきた。最近また、コンストラクティビズムの考え方にもみられるように国際政治学においても規範の問題が正面から取り上げられるようになった。また、国際法の研究においても、権力現象を正面からとりあげる研究も増えている。本部会ではこのような背景をうけ、本学会会員であり、日本の国際法学を代表する研究者である大沼保昭会員と国際政治理論の代表的研究者である石田淳会員に報告をお願いし、やはり国際政治理論の見地から遠藤誠治会員からコメントいただき、全体で討論を行った。
大沼会員の報告は、国際法の観点から、国際社会という概念も含めた国際社会に関する概念を整理し、それぞれの概念と国際社会の現実との相克を論争的に指摘したものであった。特に国際法の機能、力と法の関係、国際法学におけるいくつかの問題点(現実主義の不在や裁判中心主義)の議論が明快に論述された。これに対し、石田会員は、国際社会において人道的干渉などの規範が成立する背景にはいかなる論理がありうるかをゲーム論的な枠組みで説明しようとする試みを提示した。これに対し、遠藤会員から、双方の報告に対してコメントがなされ、ひきつづいてフロアからの意見をもとに質疑応答が行われた。大沼会員のマクロな観点の国際法と国際政治の関連の議論と、石田会員の緻密な数理モデルを両方関連づけて議論することはなかなか難しかった。しかし、いずれも国際社会における規範の形成という点では、共通しており、司会者としてみると、今後、国際政治学のマクロな観点からの国際法現象への分析がなされ、また国際法の成立に関するある種の数理的方法へのとりくみが国際法学において行われることによって、さらなる対話が継続するのでないかと思われた。
(田中明彦:東京大学)
当分科会では、「アジア地域形成と再生のための国際交流」と題し、アジア経済研究所所属の会員二名を迎えてセッションを開催した。第一報告「戦後日本農村における『近代的生活』の咀嚼過程-生活改善運動を中心に」(佐藤寛会員)では、日本の戦後復興を途上国の発展の一例とみなす視点から、米国をモデルとしつつ独自の発展を遂げることができた日本において、生活改良普及員(生改さん)が果たした役割が検討された。討論者(斎藤文彦氏:龍谷大学)からは、日本と他の途上国を単純比較することは難しいが、社会開発の視点から日本の戦後を見直すことは有効だとの指摘があり、その後フロアーを交えて、広義の国際交流の観点から、生活改良普及員制度を文化接触のケースとみなした場合の諸論点が検討された。
第二報告「『地域』創出のための国際文化交流-ASEAN による地域アイデンティティ創出の試みとその動機」(岡部まき会員)では、1990 年代半ば以降のASEAN において、歴史・文化的特徴や「人に優しい(caring)」という要素への注目がなされた事実に光が当てられ、そうした制度変革と同地域の共同体アイデンティティ形成への積極姿勢との関連性が検討された。討論者(上原良子会員)からは、ヨーロッパ地域統合研究の立場から、アイデンティティが地域統合に果たす役割や、ヨーロッパでもアジアでも制度形成におけるキーワードとなった「人権」の概念内容についてコメントが寄せられ、フロアーを交えて討議が行われた。第一・第二報告ともに、長期にわたる研究の成果に基づいて、アジア地域に焦点を当てつつ、「民主化」や「人権」といった国際関係において「普遍的」とされる概念をどうとらえるかという大きな問題を投げかけるものであり、限られた時間の中で中身の濃い議論を行うことができた。
(川村陶子:成蹊大学)
本分科会では、約20 名の参加者を得て、田中高会員が中米エルサルバドルとニカラグアにおける紛争後の平和構築のプロセスと結果について報告した。両国とも「手続き」民主主義は定着しつつあるが、ガヴァナンスの視点から和平後の政治的・経済的パフォーマンスを比較すると、エルサルバドルのほうがニカラグアよりも優れているとのことであった。会場からは、中米では他地域よりも平和構築がうまくいったとは言っても、失業、貧困、犯罪の問題な5どが山積しており、成功例と考えるのは問題ではないか、ガヴァナンスが低く治安が悪い国でも紛争が悪化しない場合もあり、ガヴァナンスは平和定着の決定的条件とは言えないのではないか、アメリカの介入など外部勢力が果たした役割をどう評価するのか、など多数の質問が出され、活発に討論がおこなわれた。
(恒川惠市:東京大学)
泉川泰博会員(宮崎国際大学)は定性的研究の再検討と題して、King, Keohane, and Verba(1994)のDesigning Social Inquiry(DSI)の出版以来、米国では定量的究の推論法を定性的研究に応用することについてさまざまな議論が行われていると報告。定性的研究では、因果プロセスの解明が中心であり、それは単一のケースでの可能である。したがって、DSI の推奨する安易にケースの数を増やすことには懐疑的であると述べた。久保田徳仁会員(防衛大学校)は、プロスペクト理論の概要を説明し、国際政治における応用範囲が広がっていると述べた。またプロスペクト理論の理論的問題を分析した。
藤原郁郎会員(コロンビア大学大学院)は民主化と識字率の関係について分析し、その相関関係が低いことに注目した。特に識字率は民主化に対する必要条件ではなく、マリやベナンなどでは、識字率が低いにもかかわらず、民主化が進んでいると指摘し、これをオーラル・デモクラシーと名づけた。飯田敬輔会員は、DSI のような方法論が日本での話題になるのは好ましい、またプロスペクト理論はすでに実験で実証されており、国際政治で「検証」するというのはおかしい、オーラル・デモクラシーでの投票率などのデータが必要である、などと指摘した。
(飯田敬輔:青山学院大学)
本分科会は、古典的政策決定理論の見直しと新理論創出の可能性を探る発表と、日本的政策決定の新しい事例を実証的に分析した発表とで、理論と事例の双方において政策決定論を取り上げ、示唆に富むものとなったと思われる。
まず飯倉章会員(城西国際大学)が「政策決定論に未来はあるか?:スナイダー・モデル、アリソン・モデル再考」と題して発表を行ない、次いで信田智人会員(国際大学)が「官邸外交と内閣官房:外交政策コアエグゼクティブとしての役割見直し」と題して発表をした。両会員の発表を受けて、鈴木順子会員(外交フォーラム編集部)が指定討論を行なった。鈴木会員からは、信田会員の発表に対して、冷戦の崩壊により外交の選択肢が増したことが官邸外交の積極化と密接な関係があると思われること、政治家主導の官邸外交では世論におもねる外交が行なわれる危険性があるのではといった指摘がなされた。フロアーからも積極的に質問が寄せられた。
飯倉会員の発表をめぐっては、歴史のなかに埋め込まれた理論をどう発掘して政策決定論に生かしてゆくかと言った問題が取り上げられた。50 名を超える会員が参加し、質疑も大変活発に行なわれ、改めて政策決定論に対する関心の高さをうかがわせた。「アメリカ産の理論に頼ってばかりいるのではなく、日本の学界において研究が積み重ねられてこそ、政策決定論にも未来があるのでは」という鈴木会員の指摘に呼応するかのような熱気を帯びた分科会であった。分科会の責任者(飯倉)としては、これを端緒として、会員の皆さんが政策決定に関する新しい理論や事例の研究を行い、学会を始めとして積極的に内外で発信してもらえばと願っている。
(飯倉章:城西国際大学)
酒井一臣会員(日本学術振興会)の報告「幻の『ハーグの平和』−戦間期国際協調外交の原型」は、1899 年と1907 年におこなわれたハーグ万国平和会議に参加した日本が、どのような外交方針を定め、行動したのか、国際秩序論の観点から検討した。また1914 年に開催予定であった第3 回ハーグ平和会議への準備過程とその周辺事情にも視野を広げ、第1 次大戦後に現われる「新外交」への対応の予備的作業についても考察をおこなった。主権の抑制や平等を掲げながら重要事項は大国が主導する方式のなかで、戦間期の日本が選択した国際協調外交の原型を探ったユニークな問題提起がなされた。
森川正則会員(大阪大学)の報告「西原借款と『日中経済提携』−大正期日本における対外経済構想の一潮流」は、西原借款に深く関わった西原亀三の大陸問題に対する認識・政策論を軸にしながら、西原借款の「日中経済提携」構想を捉え直した。さらに1920 年代の西原の対中国政策論にも視野を広げて考察をおこなった。西原の構想は単なる「アジア主義」的なものでも、円ブロック形成といったものでもなく、大陸貿易の基盤整備に向けた対中国借款政策であり、満州事変以後の軍部を中心とする大陸政策とは異なり、国際協調論に合流するとの結論が導きだされた。
(池井優:慶應義塾大学名誉教授)
分科会C-2 では、金沢大学の足立研幾会員による「オタワプロセスとカナダ外交の展開」と題した報告と、報告内容に関しての質疑応答が実施された。6足立会員の報告は、筑波大学に提出した博士論文を土台に、加筆訂正した学術書『オタワプロセス-対人地雷禁止レジームの形成』(有信堂、2004 年9 月)の骨子部分を中心に、最近のカナダ外交政策動向も踏まえた分析となった。
その内容は、交渉から1 年余りで120 カ国以上の条約調印国を生み出すに至った対人地雷全廃条約の外交交渉過程におけるカナダの役割に焦点を当てていた。特に、なぜカナダ政府がこのオタワプロセスを開始・完遂させたのかという理由を、現地の新聞や関係当事者などへのヒアリングを通じて、足立会員は、説得力のある形で提示することに成功した。更に、オタワプロセス成功以降のカナダ外交政策課題として、90 年代後半に頻繁に強調された「人間の安全保障(ヒューマン・セキュリティー)」構想を取り上げ、その問題点も含めて吟味・考察した。その結果、とりわけマンレー外相時代以降には、「人間の安全保障」という概念が、あまり取り上げられなくなった事実と、カナダ外交を取り巻いている今後の不透明な状況についても、足立会員は言及した。
発表後、カナダ外交史の文脈から判断した疑問点が寄せられ、ノームカスケードやコンストラクティヴィズムについての国際関係理論についての補足説明などもなされ、参加人数は少人数に留まったものの、活発な質疑応答が行われた。報告時間が若干長引き、討論時間が短めになってしまった点を除くと、極めて密度の濃い、国際関係理論と実証結果を見事に統合した有意義なセッションとして本分科会をおえることができた。
(櫻田大造:関西学院大学)
本分科会では、松田康弘会員(防衛研究所)と西野純也会員(延世大学院生)の報告に対して高原明生会員(立教大学)と木宮正史会員(東京大学)が討論者として参加した。松田報告「台湾の大陸政策(1958-1969)―「大陸反攻」の試みと聯合戦線の拡大―」では、1958-69 年に「大陸反攻」作戦がどのように試みられ、それが事実上放棄されるまでの過程について、蒋介石は実際に「大陸反攻」を考えており、1962 年に反攻準備がなされたが、ケネディ政権からの制止を受け、さらに1965 年の反攻の試みが失敗したことで、事実上武力による「大陸反攻」を放棄せざるをえなくなったことが指摘された。これに対し、「大陸反攻」政策の最終評価、「大陸反攻」のモデルは第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦では等の質問がなされ、「大陸反攻」政策は中国大陸をあきらめないという国家意志表明であった、「大陸反攻」のモデルとしては「北伐」や「抗日戦争」も宣伝されていた等の回答がなされた。
西野報告「韓国経済成長のおける日本のアイデアの役割:浦項総合製鉄(POSCO)事業を中心に」では、韓国経済成長における日本の影響が、従来指摘されてきた資本や技術の導入だけでなく、産業育成策でのアイデアの受容と学習という側面から分析された。その要因として、政策形成過程の集中性、日韓間の多様なネットワーク、韓国内鉄鋼専門家集団の形成等が挙げられ、同事業での日韓協力は韓国側の製鉄事業挫折の結果であり、植民地統治という歴史から自動的に導き出されるものではないことが指摘された。
これに対し、当時、日本のアイデア以外にはどのような選択肢があったのか、日韓経済関係における冷戦構造及び米国の対アジア戦略の影響についての指摘があった。ともに先行研究をふまえた新資料、新視角などによる意欲的な報告であり、会場からも多くのコメント質問がなされた。
(平岩俊司:静岡県立大学)
第一報告は、ベニー・テー・チェングワン会員(金沢大学大学院)による「東アジア地域統合のために―地域イニシャチブとそのプロセス」と題するもので、1997 年以降の東アジア地域統合を発動するためのイニシャチブ、そのプロセス、さらに東アジアの地域秩序の発展への貢献度と地域統合を形成することに伴ういくつかの懸念についての分析が行われた。報告に対して討論者の清水一史氏(九州大学)は、東アジア地域統合が大きく変化しようとしている要因と問題点を丁寧に整理した上で、FTA など東アジアという地域を越えた取決めは緊張関係も生む可能性があるのではという指摘を行った。
第二報告は、渡部厚志会員(慶應大学大学院)による「トランスナショナルな生活と農村におけるヒューマン・セキュリティ―東北タイの三農村の事例」で、経済・社会開発による生活環境の変化の下、移動労働などによって生活の安定・向上を試みてきた人々の取組みと、それが周囲の人々にもたらす影響をタイ東北部の3 農村を取り上げて論じた。討論者の石井由香会員(立命館アジア太平洋大学)は、個人史の聞き取りによってどのように全体像を描き出すのかという方法論などついて貴重なコメントがあった。フロア参加者は9 名と少なかったものの、第一報告に対しては、地域を東アジアに限定する意味やASEAN 自由貿易の可能性などについて、第二報告に対しても日本の経験との相違やタイ農村の全体像をどのように把握するのかといった質問が寄せられ、活発な議論が行われた。
(田村慶子:北九州市立大学)
椛島洋美(横浜国立大学)・原清一会員(九州大学)はコールマンのソーシャル・キャピタル(SC)の理論をAPEC に応用し、APEC のオープンな地域主義が、WTO やEU のような強制力をもたないにも拘らず、協調を達成させているのは、年数十回にも及ぶ閣僚あるいは事務レベルの会合により、SCが形成されつつあるためだと主張した。白鳥浩会員(法政大学)は、EU 拡大により新たな「ローマ帝国」が形成されつつあり、このパターンを解釈する方法として、ロッカンの欧州概念地図が有用であると論じた。特にフィンランドやスウェーデンがEU に加盟したにもかかわらず、ノルウェーが未加盟であるのも、ロッカンの予測通りであると主張した。猪口(孝)会員は、確かにAPEC は「身内にやさしい」という意味でのSC であると、椛島・原説を肯定しつつも、アジア危機以来、APEC の規範(内政不干渉)などにも変化が見られると指摘した。またユーロの出現は、神聖ローマ帝国時代のシャルルマーニュの通貨統一に酷似しており、後者がすぐに崩れたことを想起すると楽観できないと指摘した。
(飯田敬輔:青山学院大学)
本セッションではタイトルを「グローバルガバナンス再考」として上で、(1)石川一雄会員(専修大学)「パワー・シェアリングとガバナンス」、(2)南山淳会員(筑波大学)「権力/知としてのグローバルガバナンス」が報告され、それに対して武者小路公秀会員による討論が行われた(司会担当は関根)。最大瞬間出席者数25 名ほどで、熱の入った報告と議論が続き会場が小さく感じられた。このセッションは、多文化主義国家カナダの政治統合を長年研究されてきた石川会員の発議による。従来の「よきガバナンス」として提示された理念が結果として、欧米圏中心の理念の普遍化とマイノリティの抑圧につながったとの観点から、改めてパワー・シェアリングの可能性を考察しようとしたものである。同様な観点から、従来のグローバルガバナンス論の問題点を南山会員が論じ、グローバル、ナショナルなガバナンスについて質疑応答の後、武者小路会員による的確なコメントで締めくくられた。
(関根政美:慶應義塾大学)
まず、浅野一弘会員の「小泉政権と自衛隊の派兵−日米首脳会談の文脈において」では、主に2001年の同時多発テロ事件以後の日米首脳会談における各種談話を詳細に分析することによって、同年成立の「テロ対策特別措置法」にみられるような日本の安全保障政策の転換が、米国からの外圧によるというよりもむしろ内発的なものではなかったのかという問題提起がなされた。
次に、濱賀裕子会員の「被爆者援護法をめぐる問題点」では、これまでの被爆者援護政策が、争点としての国家の戦争責任問題をいかに回避するべく展開してきたのかについて歴史的な検討がなされた。そして日本政府にとっての被爆者対策が一貫して「戦争被害者に対する補償ではなく、あくまでも放射能という特殊な障害に着目した対策であった」ことを指摘した。これを受けて藤本一美会員は、浅野報告に対し、日米首脳会談が日米の政治プロセス全体に占める位置付けについて明確にする必要性を指摘し、また報告で「派兵」という用語が使われることの妥当性について鋭い指摘を行った。また濱賀報告に対しては、たとえば日本被団協の運動がなぜ成功しなかったのかなど、運動の立場からの研究の必要性などが指摘された。両報告者および討論者のアクチュアルな問題提起をうけ、当日17 名の参加者中からもきわめて活発な質問や議論が発せられた。
(佐々木寛:新潟国際情報大学)
「ブッシュ外交の歴史的位相」をめぐり4 人の討論者を得て、シンポジウムを開催した。司会は滝田が担当した。まず、佐々木卓也会員はアメリカ外交の伝統を(1)孤立主義・国際主義、単独主義・多角主義、(2)ウイルソン的国際主義、(3)第2 次大戦後の多国間主義的国際主義という観点から確認した上で、G.W. ブッシュ外交の特徴を古典的性格と新しさの二面を持つものとして強調した。中山俊弘会員はリベラル・ホーク(リベラル・タカ派)の思想を中心にブッシュ外交の特徴を描き出そうとした。リベラル・ホークは民主党に寄り添いつつも、人道的介入には賛成の立場をとり、レジームチェンジを受け入れ、1990 年代、ボスニア、ルワンダ、コソボ問題で積極的に発言し、イラク戦争に際しても立場を堅持したという。リベラル・ホークは90 年代以前、共和党のニクソン政権の対中政策にもデタント政策にも反対して歴史を持っており、力による理念の実現を支持するのは彼らのDNA なのかもしれないと見る。
大津留(北川)智恵子会員はクリントン外交には長期的軸足が欠如していたため秩序形成の機会が失われ、結果的にハードパワーを重視することになるブッシュ外交を登場させたと説いた。最後に発表した泉淳会員はアメリカの中東政策の伝統を確認しつつ、ブッシュ政権の中東政策を特殊性と共通性とい8う観点から分析した。ブッシュ政権の中東政策の特殊性として歴代政権ではタブーであったパレスチナ国家独立への言及、ロードマップに提示される「裁定型介入」への転回が挙げられるという。
4 人の発表後に4 人の間で討論に入ったが、争点は「ブッシュ外交の古典的性格と新しさ」「9・11により何が変わり何が変わらなかったか」「リベラル・ホークとネオコンの関係」に集中したが、司会者の力不足と時間切れにより十分な議論には至らなかった。
(滝田賢治:中央大学)
本分科会では4 名の会員から報告が行われ、約40 名の参加者をまじえて、活発な討論がなされた。まず長谷直哉会員(慶應大学大学院)報告「ロシア連邦制はいかなる連邦制か−比較連邦論の視点から−」では、R・ワッツによる比較連邦論の枠組みが紹介され、それに基づきロシア連邦制の特徴が吟味され、ロシア連邦制の構造が比較的安定的であると主張された。討論者の兵頭慎治会員(防衛研究所)からは報告における制度比較の試みへの評価とならんで、制度と実態との乖離をどう捉えるかという問題が指摘された。フロアからもソ連崩壊後の歴史的経緯の組み入れの必要などが提起された。
ついで藤巻裕之会員(東海大学)報告「北東アジア地域のエネルギーをめぐる地域協力」では、冷戦終了以降、北東アジアでのエネルギー協力に、準国家アクター・非国家アクターが関与するようになったことが説明され、同時に今日なお、国家を主体とするパワーポリティックスが大きな役割をはたしていると主張された。これに対しては、複雑な問題に取り組んだ姿勢が評価されるとともに、より具体的な実証分析が望まれるという意見が提起され、またエネルギーをめぐるロシア欧州関係との関連づけが必要ではないかといった指摘がなされた。
藤森信吉会員(北海道大学スラブ研究センター)報告「ウクライナの政治エリート−最高会議議員の変遷―」では、1990 年から2002 年にかけてのウクライナの最高会議選挙結果を素材として、議員属性の変遷について詳細な分析が提示された。討論者の皆川修吾会員(愛知淑徳大学)からは最高会議議員がいかなる意味でエリートと呼びうるのか、また、より明示的に分析の目的を示すべきではないかという指摘がなされた。フロアからは、議員と出身地などについて、より詳細な分析も可能であろうといった提言がなされた。
佐藤圭史会員(九州大学大学院)報告「言語政策に反映される民族間関係とその諸問題―ソ連末期(1988-1992)のドニエストル自治共和国、ガガウズ自治共和国を比較事例として―」では、ソ連時代におけるモルドヴァ共和国での言語政策が概観されたのち、現地入手資料に基づき、1990 年以降のいわゆる「ドニエストル共和国」および「ガガウズ共和国」でどのような言語政策がとられたかが、丹念に比較検討された。討論者の六鹿茂夫会員(静岡県立大学)からは、ソ連末期のモスクワ中央との関係をはじめ、より詳細な政策形成プロセスの分析が必要という指摘がなされた。
分科会全体を通して、ロシア東欧の国際政治の多様な問題状況を確認できたが、他方で四つの報告テーマが分散していたこともあり、討議を深めるのがやや困難であった。この点は今後の分科会運営の課題としたい。
(永綱憲悟:亜細亜大学)
本セッションではタイトルを「海域アジアにおけるオーストラリアのトランスナショナルな共存可能性」とし、(1)増田あけみ会員(名古屋学院大学)による「『アジア時代』におけるオーストラリア華僑の役割についての一考察」、(2)鎌田真弓会員(名古屋商科大学)の「先住民族との和解と豪亜関係」、(3)小柏葉子会員(広島大学)は「オセアニアから見たアジア―太平洋諸島フォーラムの対アジア外交―」などの報告がなされ、金子芳樹会員による討論が行われた(司会担当は関根)。増田会員は、豪州連邦政府や国民の「華僑ビジネス」への期待とは裏腹に、多くの中華系豪州国民は、普通の定住生活を望んでいるという意識のギャップを論じて華僑幻想に警鐘を鳴らし、鎌田会員は、東南アジアの諸政府が、対オーストラリア外交の踏み絵としているアボリジニ政策の現状について、小柏会員はオセアニアとアジアとの外交的接近について論じた。本セッションは、オセアニアとアジアの接近というトランスナショナルな動きに逆行するような現豪州ハワード政権の対アジア・オセアニア外交を浮かび上がらせることを目的とした。その点についての掘り下げは今一歩だったが、各報告は粒よりで水準も高く参加者からは満足の声を頂いた。金子会員のコメントが、会員若手報告者の大きな糧になったと思われる。ただ、離れ小島での日曜日早朝のセッションへの参加者数が少なく会場が大きく見えたのは残念。東南アジアを海域アジアと言い換えたのは、東南アジアとオセアニアの「海によるつながり」を強調したかったからである。
【お願い:トランスナショナル分科会では報告希望者の応募を受け付けます。応募は本年3 月末頃までにお願いします。問い合わせ・申し込みは関根政美のメールまで】
(関根政美:慶應義塾大学)
本分科会では、まず森山優会員(静岡県立大学)の報告(「戦前期日本の暗号解読能力に関する基礎研究―アメリカ国務省の暗号電報を中心に」)では、敗戦にともなう焼却により解明困難な日本の暗号解読問題を正面からあつかった。僅かに残された解読文を手かがりに、膨大なアメリカ側史料ともつき合わせ、国務省最高強度の暗号ストリップ式M138 を解読していたことを実証するとともに、日本の解読能力を明らかにした。
これに対して、小谷賢会員(防衛研究所)の報告(「イギリスの対日外交政策とインテリジェンス―1941 年におけるイギリスの対日政策と暗号解読」)は、イギリスが日本外務省の暗号電報を解読し、それを対日政策にどのように分析・運用したのかを明らかにした。イギリスは、対日政策上、解読情報に多くを依存し、対日戦の不回帰点・南部仏印進駐を事前に察知していた。そして、解読内容から松岡外交を強硬なものと理解し、対日強攻策を選択した。イギリスは、暗号解読により、日本外交を妥協不可能なものと理解し、一方で、対日経済政策から参戦へとアメリカを導いたと結論した。
本報告に対して、討論者の中西輝政会員(京都大学)は、まず、インテリジェンス・ヒストリーが研究分野として市民権を得る必要があるとされた。その上で、森山報告については、日本が継続的・系統的に暗号解読が行っていたことを実証したことを評価し、政策過程での意義付け、陸海軍と外務省間の暗号解読をめぐる協力等について質問がなされた。小谷論文については、情報活動への依存が高まることによって政治的不安が拡大することを確認したうえで、他の情報機関との関係等について質問がなされた。また、会場からも通常の外交ルートとの政策過程での取扱の違い等について細谷会員が、国務省ストリップの形状について蓑原会員等の質問がなされた。報告の質が高かったこともあり、会場は満員。実証的なインテリジェンス研究が日本外交史研究に根付く嚆矢となったともいえよう。
(小池聖一:広島大学)
まず、鶴岡路人会員(ロンドン大学大学院)による「英国と冷戦終結―国際変化、同盟、対外政策」は、冷戦終結への英国の対応を、国際的変化への対外政策の対応という観点から、NATO の役割に注目しつつ実証的に検討し、当時の英国外交が、変化よりは継続性によって特徴付けられるものになった要因を分析した。討論者の植田隆子会員(国際基督教大)からは、当時の安保問題における核問題と通常兵器などその他の問題の比重などに関して問題提起がなされた他、水本会員(青山学院大)、小川会員(京都大)、半澤会員(明治大)など、主に英国外交史の専門家からコメントや質問があり、報告者との間で活発な議論が行われた。
次いで、藤作健一(東京外国語大学大学院)が、「米ソデタント期のフランス外交− 1964 年のドゴールによる中国承認の政策決定過程を事例として−」と題して、1964 年のドゴールによる中国承認は、元来、米ソデタント時代の多極化現象の一例として記憶されてきたが、ドゴールの中国観と中国接近の決意に至る過程を実証的に検討すると、彼独自の欧州秩序のあり方を投影した「デタント」観が存在し、中国接近の背後には米仏間で真のデタント政策をめぐる競合・対立状況が介在したと論じた。また、冷戦の客体にすぎない欧州の一国家が「デタント」に関する問題を提起することで、超大国からの自立を演じる以上に、東西関係の変容の方向性に対して主体的に関与しようとしたと指摘した。フロアの斎藤会員(神戸大)、上原会員(フェリス女子大)、吉崎会員(防衛研究所)などからコメントや質問が寄せられた。
(小久保康之:静岡県立大学)
本分科会では、増田雅之会員(防衛研究所)と礒崎敦仁会員(慶應大学院生)の報告にたいして伊藤剛会員(明治大学)と室岡鉄夫会員(防衛研究所)が討論者として参加した。増田雅之会員(防衛庁防衛研究所)の報告「対米ソ関係をめぐる中国政治、1969〜1979 年―脅威認識から機会認識へ―」では、ニクソン訪中に見られる米中接近及び70 年代の中国外交の展開を、ソ連の軍事的脅威に対する中国指導部の認識と政策過程から再検討し、「米ソ矛盾」を利用し、ソ連の脅威に対抗するという観点が指導部内・外交当局で共有されていなかった可能性が高いことが指摘された。また、ソ連の軍事的脅威に対しても、指導部内で再検討され、「相対的」な脅威認識が70 年代半ば以降提起され、75 年の「4 つの現代化」提起以降、「現代化」実現の必要性から対米関係が重視されるようになったことが指摘された。これに対しては、討論者より文化大革命期の外交と改革開放期の外交それぞれとのつながりを明確にすべきとのコメントがあった。礒崎会員の報告「北朝鮮『首領制』の変容」では、1994 年に金日成主席が死去した後に生じた北朝鮮国内の変容ぶりを、「首領」称号及び「主席」ポストの廃止、住民意識、動員目標といった観点から整理し、諸政策の変化、とりわけ「強盛大国」論登場の背景には住民意識の変10化があるのではないかという見解を示した。これに対して討論者から、そもそも「首領制」概念は適切であったか、金正日体制は「スルタン主義体制」に該当するか、金日成、金正日両体制の相違点は変容というより連続性の側面の方が強いのではないか、などのコメント、質問がされた。ともに興味深い報告であったこともあり、両報告に対してフロアからも積極的にコメント、質問がなされた。
(平岩俊司:静岡県立大学)
勝間田弘会員(防衛・戦略問題研究所(シンガポール))は、構成主義の反証可能性および合理主義との統合について報告した。トートロジーとの批判が強い構成主義も反証可能な研究方法が可能だとして、ディスコース分析やインタビューなどの活用を訴えた。また構成主義で選好を説明し、合理主義が選好により行動を説明することによって、構成主義と合理主義の統合が可能だと主張した。
山梨奈保子会員(慶應義塾大学大学院)は構成主義を米国の対ラテンアメリカ人道援助に適用し、ケネディー政権とカーター政権の対ラ米援助が、対外イメージの悪化を挽回する策として規範が強く働いた例であると説明した。討論者の宮岡会員は勝間田報告における「統合」は単なる「併用」ではないかと疑義を呈した。また山梨報告についてはフロアから、「進歩のための同盟」に関して解釈に疑問があるとのコメントがあった。
(飯田敬輔:青山学院大学)
○臨時の第10 回運営委員会が2004 年9 月18 日(土)午後6 時―8 時15 分に、法政大学現代法研究所会議室で開催されました。日本学会事務センターの破産に伴う対応措置の協議が主な議題でした。学会事務センターから会員データを回収するとともに、一橋大学事務局を当面の会費納入窓口にすること、文部科学省の緊急科研への申請など関連省庁への働きかけ、被害学会との連携や法的措置などの対応策を決定しました。また、英文ジャーナルの編集体制について、今年度で任期満了の猪口孝編集長の後任に山本吉宣理事の就任が承認されました。厳しい出版事情の中、短期間にIRAP の国際的な学術誌として位相を確立した猪口編集長のご尽力に重ねてお礼申し上げます。
○第11 回運営委員会が研究大会初日の2004 年10 月15 日(金)午前11 時―午後1 時に、淡路夢舞台国際会議場で開催されました。報告・審議事項のうち、各委員会からのお知らせを除き、主なものは以下のとおりです。
1. 38 名の入会申込が仮承認されました。
2. 理事会および評議員会の名称変更に伴い、名誉理事の推薦要件の表現上の変更を趣旨とする名誉理事推薦手続きの改正の提案が決定されました。
3. 和文機関紙の編集要領の改正の提案が決定されました。
4. 2005 年度研究大会を2005 年11 月18 日―20 日に札幌コンベンションセンター(札幌市)で開催することを決定しました。
○ 2002 − 2004 年期の最後の第5 回理事会が同10 月15 日(金)午後6 時―7 時に、淡路夢舞台国際会議場で開催されました。審議事項は以下のとおりです。
1. 第9 回運営委員会で仮承認された17 名、第11 回運営委員会で仮承認された38 名など、合計55 名の入会申込が承認されました。
2. 名誉理事推薦手続きの改正案が承認されました。
3. 和文機関誌の編集要領の改正案が承認されました。
4. 2005 年度研究大会を2005 年11 月18 日―20 日に札幌コンベンションセンターで開催することが承認されました。
○それに引き続き、新たに選出された2004 −2006 年期第1 回評議員会が同10 月15 日(金)午後7 時− 8 時、淡路夢舞台国際会議場で開催されました。第1 回評議員会では、理事長・副理事長選挙が行われ、理事長候補に大芝亮理事、副理事長候補に国分良成理事をそれぞれ選出しました。その他の理事13 名、および監事3 名は以下のとおりです。
理事:我部政明、吉川元、古城佳子、下斗米伸夫、添谷芳秀、田中明彦、田中孝彦、中西寛、羽場久
子、藤原帰一、山本吉宣、李鍾元、渡邊啓貴
監事:池井優、田中俊郎、初瀬龍平
○選出された理事は直ちに評議員会を辞し、2004− 2006 年期評議員会は以下のように確定しました。
天児慧、五百旗頭真、五十嵐武士、石井修、伊東孝之、猪口邦子、植田隆子、小此木政夫、菅英輝、北岡伸一、木畑洋一、久保文明、酒井啓子、竹田いさみ、土山實男、納家政嗣、波多野澄雄、毛里和子、山影進、山本武彦、田中俊郎、山内昌之、油井大三郎。
○ 2004 − 2006 年期理事会(役員)は以下のように決まりました。
理事長 大芝亮
副理事長 国分良成
事務局長 田中孝彦
企画研究委員会主任 田中明彦
副主任 中西寛
編集委員会主任 藤原帰一
副主任 吉川元
英文ジャーナル編集委員会主任 山本吉宣
副主任 添谷芳秀
ニューズレター委員会主任 羽場久
子
対外交流委員会主任 下斗米伸夫
副主任 古城佳子
国際学術交流委員会主任 我部政明
会計部主任 渡邊啓貴
50 周年記念事業委員会主任 李鍾元
(2002 − 2004 年期事務局長:李鍾元)
2005 年度研究大会(11 月18 日(金)―20 日(日)、於:北海道・札幌コンベンションセンター)での部会に関して、会員の皆さまからさまざまなご提案やご希望をいただきたく思います。また、若い会員を中心とした自由論題(部会)についての報告希望も募集いたします。もちろん、ご希望の皆さま全員にお約束できるわけではありませんが、参考とさせていただきますので、よろしくお願いいたします。なお部会報告についてはペーパー提出が義務づけられていますので、ご提案の際にはその点を確認頂きますようお願い致します。
以下の要領で応募してください。
(1)明記してほしいこと
・氏名、所属、連絡先(住所、電話番号、e-mail 等)
・部会企画案もしくは自由論題報告テーマ、およびいずれの場合も趣旨(300〜400 字程度、それ以上でも結構です)。
(2)応募先
・郵便、FAX もしくはe-mail にて、担当の田中明彦までお送りください。(e-mail でいただくのが、当方としては有り難いと思っています。)
(3)締め切り:2005 年2 月末日
応募者の方は以上の点の記入漏れがないようにご確認ください。その他、企画・研究に関するご意見・アドバイスも大歓迎です。
なお、分科会企画につきましては、各分科会責任者にご連絡ください。
(2004 − 2006 年期企画委員会)
2004 年度大会時に、大芝理事長・国分副理事長・田中事務局長を中心に、これまでになく若い新体制が発足しました。従来の理事会は実質的に評議員会となり、運営委員会は理事会となりました。50 周年記念大会という大きな事業を控え、初春から本格的に始動します。新体制の発足にあたっての新理事長の所信は次号に掲載いたします。ニューズレター委員会も一新され、次号からは羽場理事(法政大学)が担当します。これまでにも増して会員諸氏のご支援をお願いいたします。
(2002 − 2004 年期NL 委員会)
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「日本国際政治学会ニューズレターNo.104」
(2005年1月5日発行)
発行人 下斗米伸夫
編集人 波多野澄雄
筑波大学人文社会科学研究科
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