JAIR Newsletter
日本国際政治学会ニューズレター
No. 98   February 2003

日本国際政治学会 −今昔物語

池井 優(青山学院大学)

 2002年11月、淡路島夢舞台を会場に3日間の日程で、日本国際政治学会の大会が開かれた。参加者579人、部会13、分科会にいたっては42を数え、外国人の姿も目立つ。なんと外国人の報告者は15人、司会者4人、討論者4人、計21人、EU Enlargement and East Asia の部会は全て英語、通訳なしで行われ、まさに国際政治学会と呼ぶのにふさわしい雰囲気が生まれた。大学院時代から40年近くこの学会に関わってきた者として、今昔の感に堪えない。

 学会創立当時と現在とを比較してみよう。本学会の創立は、1956年12月のことである。創立 総会は、学士会館において在京の国際政治学、外交史並びに関連の研究者、外交官、言論人など 35人が集まり、会の運営、事業計画などが定められた。学会名は外交史学会の案がはじめあった が、日本大学の百々巳之助教授の発言により国際政治学会とし、なお万国政治学会と区別するため、日本国際政治学会を名乗ることになったという。通常会員の会費は年額500円、当初の入会者は122名であった。年会費1万4,000円、会員数2,000名を超える現状を考えると、まさに40数年の歳月を感じさせる。

 初めての大会が、当時の理事長、神川彦松教授が在籍した明治大学大学院を会場に行なわれたのは、1957年5月4日、土曜日のことであった。今日と違い1日だけで、部会も午前と午後に分かれたのみ、午前は石田栄雄早稲田大学教授の「白瀬中尉の南極探検の外交面」、堀川武夫広島大学教授の「21箇条要求の第5号について」の研究発表がなされ、午後の部会では、下村富士男東京大学助教授の「日露戦争の性格」、そして若き日の中曽根康弘衆議院議員が「日本における原子力政策」を報告、夕方から懇親会が開かれ、会費は300円であった。

 機関誌は年4回の刊行が定められ、第1号「平和と戦争の研究」が出されたのは、1957年5月のことであった。定価は250円、当時の編集主任、田中直吉法政大学教授の思い出話によると、3,000部印刷したが、朝日新聞に大きな広告を出したため、たちまち売り切れ、1,000部増刷したという。

神川理事長は、「平和と戦争の研究」の巻頭の創刊の挨拶で次のように抱負を述べて居られる。「…この学会は、国際政治学、国際政治史、ならびにこれと最も関係の深い国際経済学、その他の諸学の研究と発表と普及とを助成し、これらの学問の発達を世界的水準に達せしめ、さらにこれを凌駕して世界の文運の向上に貢献することを、本来の使命といたします。この目的を達成するために、ただに全国の斯学の学徒のみでなく、直接、斯学の応用と実践とに従事されまする全国の実務家と言論人の参加を願って、一大学会を結成することとなったのであります。…いまや、いよいよ新学会は、学問の大海に船出いたしました。この航海が安全であり、実のり多く、目出たく目的の港に到達することを祈るとともに、全国の同学、同志の方々の熱誠な御協力と御援助とを切望する次第であります。」

 この願いは見事に達せられた。会員増のみならず、欧米や韓国の国際政治学会との提携も 実現し、人的交流も積極的に行われるにいたった。

 会員の報告も、歴史、理論、地域研究など多岐にわたり、機関誌も各種論文の寄せ集めではなく、毎号学会誌としてはユニークな単行本的な特集形式で注目を集めている。なかにはバックナンバーでテーマによっては古書店で一冊数千円の値がつけられているものさえある。

 学会創設2年目の1957年度の予算案を見ると、318万9,986円、2003年度の予算収入3,409万8,884円と比較して、いかに学会の規模が予算の面でも拡大したかが知られるであろう。

 大学院生あるいは助手の時代、母校で学会が開催されると、会場の手配、受付、立て看板、弁当から壇上の花の手配まで忙しく働いたことを懐かしく思い出す今日この頃である。

特集:2002年度研究大会

2002年度研究大会の報告

大会実行委員長 吉川元(神戸大学)

 日本国際政治学会2002年度研究大会が2002年11月15日−17日、兵庫県の淡路島の淡路夢舞台国際会議場で開催されました。参加者は579名(事前登録469名、当日参加110名)で前年度より少し減りました。

 会場が東京近辺ではなかっただけに(昨年度とて陸の孤島のようなものでしたが)、そしてこのたびは本物の島であったためにか、少し交通の便に難ありと感じられたのでしょう。しかし、淡路夢舞台国際会議場およびホテルは、まだ建築されて数年も建たないために、最新の設備を備え、研究大会会場としては快適な環境であったと思います。

 大会の企画と運営は、大会実行委員会(副委員長、村田晃司・同志社大学)で行いました。なにせ初めての経験ですから戸惑いました。後になって思うに、要領が悪かっただけの話です。大会参加の案内、ホテル案内、大会会場の準備と設営は、このたびも近畿日本ツーリストのお世話になりました。

 大会の実行は、すでにマニュアル化されていますが、何かと不測の事態も生じます。大会案内を、ニューズレターに同封して送付したために、会員の皆様の側に、見落としが結構あり、案内が届かないとの問合せに、一時期忙殺されました。また大会案内を郵便ではなく宅急便でお送りしたために、引越しされた会員への案内が返送されてきました。これまた大会案内が届いていない、とのお叱りも受けました。郵便であれば転居届けが出されている限り、ちゃんと届くわけですから、郵便を見直しました。

 大会実行委員会は、これまでは一年限りのイベント屋です。慣れない仕事ゆえに、無駄が多い。至らぬ点も多々あったと思います。ただ、この点で、反省として、大会実行委員会は、そのつど立ち上げるのではなく、継続性をもたせてはいかがでしょうか。何も、会場近辺の大学(または会員)に実行委員会を任せる必要は、特にないと思います。会場も数箇所に固定してはいかがでしょうか。大会用の看板等々、この大会用に作成した備品を使い捨てにするのがもったいないだけではありません。会場が固定されれば、会議場スタッフを含め、大会関係者は要領を得て、サービスのさらなる向上につながります。助成金も、特定財団から、毎回、期待できます。

 いずれにせよ、会員皆様のご協力およびご海容、まことにありがとうございました。

《共通論題》 ---パネル・ディスカッション
「国際秩序と反グローバリゼーション」

 Globalizationの多面性を考慮し、三個の側面からその本質的な性格を捉えようとしたのが本共通論題の目的である。幸い、五十嵐武士、米本昌平、そして広瀬崇子という、米国外交、科学技術、そしてインド政治の最高権威の参加を得て、反Globalizationをひとつの焦点に、議論を進めてもらった。

 米国のユニラテラリズムに反対する動きは Globalizationに反対の動きと共鳴することが多い。それは世界的に政治参加を拡大する要求でもある。それがユニラテラリズムによって阻止されていることを問題とする考えである。米国の対外政策のアプロ−チを歴史的にみて背景や基盤を考察した上で、米国の主導権の選択肢を構想する図式が提示された。それは「世界帝国」と時にいわれる民主主義を標榜し、領土獲得を目的としない新しい帝国が生まれているのではないかという問い掛けでもあった。

 軍事技術・科学技術と反Globalizationについては科学技術の進歩があまりにも速く、米国のそれに追いつけない国がとりわけ軍事技術について圧倒的になった。米国は既得した優位を維持するための動きを制度化している。その意味で米国は、軍事技術、とりわけ核兵器の地球的拡散に反対している。しかし、技術は情報であるからいずれは拡散する運命にある。そのようななかで、軍事技術・科学技術の拡散(つまり、一種のGlobalization)を防止するレジ−ムをどのように構築するかが、米国に限らず大きな問題になる。

 貧困・開発と反Globalizationについては、Globalizationによって加速されるとみられる極端な貧困をどのように絶滅するかが、大きな問題である。地球市場が着実に浸透するなかでGlobalizationから逃れる事自体がむつかしく、21世紀のラダイツになる路(反Globalization)がひとつある。しかし、たとえばインドの多数意見はむしろ社会的安全網の拡大充実によって社会的政治的安定を確保しつつ、経済発展に全力を尽くし、経済的繁栄が次第に最底辺にも及ぶような方向にあるようである。

 政治参加の地球的拡大の趨勢、軍事・科学技術の地球的拡散の趨勢、そして市場の力の地球的浸透の趨勢からみると、Globalizationは不可逆的な動きともいえるが、プロセス自体は複雑にして可逆的な要素を多く含むものであり、反Globalizationはさまざまな態様を取ることになる。

(猪口孝:東京大学)

《部会概要》

部会1 ジェンダー秩序の再編

 湾岸戦争、そしてアフガン戦争を背景に、グローバルなジェンダー秩序はいかなる変化を遂げているのか、それを「南」側から再検討することが本部会の目的であった。

 竹中千春(明治学院大学)は「武力紛争の中の女性――犠牲者・加害者・変革主体」という報告で主体としての女性に目をむけ、戦争だけではなく、レイプなどにおける「集合的な沈黙の強制」や、伝統的な「家族」(家父長制・家族関係)、都市化や移民に伴う新しいコミュニティにおける暴力を分析した。岡真理(京都大学)は「<女性>が泣いている―真実はなぜ、<女性>によって担保されるのか―」という報告の中で、報道やナショナリズムはなぜ泣いている<女性>によって表象されるのかと問いかけ、「プリミティブへの情熱」(primitive passion)の作用を提唱した。さらにジェンダーの視点において、いかに表象する主体が表象される人を再構成する過程においてサバルタン化しないで語れるかという問題を指摘した。中西久枝(名古屋大学)は、「イスラーム・ジェンダー・ヴェール―イランの事例を中心に」という報告の中で、イスラーム的フェミニズムを紹介・分析しつつ、西洋のフェミニズム論やジェンダー概念への見直しを提示した。

 討論者の遠藤誠治(成蹊大学)は、主に男性による権力や秩序に対して、ジェンダーの枠組みはだれが提供できるのか、そしてジェンダーを入れてどう変わるのかと疑問を呈した。伊藤るり(お茶の水女子大学)は重層的に構成される暴力は、人の移動などによって国家・法・コミュニティ/社会といったレベルで新しい形になっていることを指摘し、国際政治学的な観点からの分析の意義や今後の課題を示した。フロアから多くの質問もあり、活発な部会となった。

日本国際政治学会としては初めて「ジェンダー」を部会のテーマに取り上げたが、今後も続けてとりあげる意義を再確認し、終了した。

(ロニー・アレキサンダー:神戸大学)

部会3 NATO=ロシアの新関係

 ロシアはNATOの第一次東方拡大に強く反対したにもかかわらず、9.11事件以後は急接近している。これをどう捉えるか。松井会員は公式文書とロシア紙の論評などに拠りつつロシアが不承不承西側の要求を呑んでいったさまを描く。NATO=ロシア関係はPFP、常設合同理事会、NATO=ロシア理事会と着実に緊密化が進んできたように見えるが、ロシアとしては選択の余地がなかったのが実情である。「準加盟」を果たしたとしてもなんら喜びの声はなく、プーチン政権は狭い選択肢の中を歩んでいる、という。

 岩間会員は欧州の論調を中心にNATOの将来についての悲観主義を分析する。コソボ危機から米欧間の乖離、NATOの空洞化が始まった。欧州における地政学的なバランスが重要であった時代は去り、グローバルな脅威に対処しなければならない時代となった。冷戦時がNATO1とすれば、冷戦後はNATO2、9.11以後はNATO3であり、拡大はもはや軍事的意義を失っている。アフガニスタンではNATOはまったく素通りされた。ロシアの比重もNATOの比重も下がっているときに、NATO=ロシア関係はあまり意味をもたない、という。

 阿南会員は膨大な関係文献を精査し、「ポスト・ポスト冷戦期」におけるアメリカの対ロシア・対欧州政策に光を当てる。NATO第一次拡大から第二次拡大に至るまでの節目節目における米政府内外の議論は複雑多岐に渡っており、連続性と断絶、基本的立場を同じくしながら政策を異にする「奇妙な同衾者現象」などが見られるが、基本的に選択的介入から単独行動主義への発展であった。結局のところプーチン政権は米国の単独行動主義に追従し、NATO=ロシア理事会の設立とともに加盟国とほぼ同等の立場を認められた。しかし、米国の対ロシア、対欧州関係はその単独行動主義によって大きな緊張を強いられている、という。

 佐瀬会員は、阿南報告について「葉が茂りすぎて木が見えない」、単なる紹介記事に基づいて「加盟国とほぼ同等の地位を認められた」という誤った結論を出している、米国の対アフガニスタン戦争ではなくて対アルカイーダ、対タリバン戦争である、などと批判、岩間報告についてNATO=ロシア関係そのものを取り上げず、NATOが一つのリアリティーであることを見ていない、NATOの歴史は不協和音の連続であるにもかかわらず存続し、加盟希望国が跡を絶たない事実を考えるべきだ、などと指摘、松井報告についてエリツィンの1993年ポーランド発言はNATO加盟を支持したのではなく単に理解を示したに過ぎないとしているが、エリツィン政権に混乱があったというべきだ、NATO加盟論はスターリン、モロトフ、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンと蜃気楼のように登場するのを見ればロシアにとってやはり重要である、などと述べた。フロアからは宮 崎孝(名古屋経済大)、林忠行(北大)、羽場久尾子(法政大)、高橋進(龍谷大)、宮崎英隆(東海大)、 小林正英(杏林大)、吉崎知典(防衛研)の各会員の発言があった。

最後に松井会員がポスト・ポスト冷戦ではなくて、9.11以後はじめてポスト冷戦期に入ったと認識している、ロシアは本音としてはNATOに加盟したいが無理だと思っている、エリツィンのポーランド発言はハンガリーについても同じだった、第一次拡大の際にロシアはバルト、ウクライナを含めることに強く反対したが、現在では反対していない、など、岩間会員は欧州の危機感が米国に通じないことに問題がある、米国は急速反応戦力によってグローバルに介入できるので地域における平和維持には関心を失っている、NATOは政治協議の場となったが、集団的自衛組織としての今後の意義は不明である、「アメリカ人は内に、ドイツ人は下に、ロシア人は外に」という有名なNATOの機能を定義した言葉があるが、これがすべて変化した、など、阿南会員は米国にはNATO拡大は不要で、余計な負担を招くと説くものがあったが、議会では少なかった、ESDP構想などはアメリカが余力を世界の他の地域に割けるようにイニシアティブをなるべくヨーロッパにもたせたいという考え方から出ていた、などと答えた。佐瀬会員はロシアのNATO「準加盟」という言葉が使われているけれども、平等のパートナーではあってもメンバーではないことに注意すべきである、ロシアは「共通の利害領域において」のみ協議に与ることができる、自分の言葉で言えばこれは「ロシア人を外に」ではなく「傍らに」留めおくことを意味する、とつけ加えた。

(伊東孝之:早稲田大学)

部会4 自由論題

 この部会では、半澤朝彦会員による「政策決定の拘束要因としての国連 ---1956年スエズ危機における国連の『見えざる』役割」、永田尚見会員による「19世紀末の国際検疫制度の成立―専門家・国家・国際機構」、そして三浦聡会員による「へテラーキカル・ソサエティー世界政治おけるネットワークと多重秩序」の3つの報告が行われた。

 半澤会員の報告は、スエズ危機における英国の行動を、豊富な一次資料に基づいて実証的に追跡しながら、国連における英国の孤立が、イギリスの行動を強く制約する要因であったことを 主張するものであった。永田会員の報告は、19世紀末ヨーロッパ諸国によって開かれた国際衛生会議の審議を詳しく記述し、国際検疫制度の成立過程を叙述するものであった。最後に三浦聡会員は、伝統的な国際政治理論が国際社会の基本的な特徴を「アナーキー」と把握してきたのに対して、多様な権威と主体がもつれあって関係しあう「へテラーキー」の概念を対置し、それによって現代の国際社会の構造を、ネットワーク、ブリコラージュ、プロジェクトといった組織化形態によって特徴づけようとする野心的な報告であった。

 これに対してコメンテーターの鹿島正祐会員と鈴木基史会員およびフロアから、実証および理論の両面で、多数の疑問が提起された。たとえば半澤会員の報告には、アメリカ要因に対する評価が問われるとともに、スエズ危機のケースから国連の役割一般に対してどこまで分析的な主張ができるのかといった疑問が提起され、永田報告に対しては、会議の記述の分析的な意義に疑問が提起された。三浦会員の報告にはとりわけ多数のコメントが寄せられ、へテラーキーを基礎とする国際社会像を、相互依存論や新中世論との比較で一層明確化することが求められるとともに、企業間のトランスナショナルネットワークの性格付けにつけなどについて、活発な議論を誘発した。                

(田所昌幸:慶應義塾大学)

部会5 テロと安全保障

 本部会は、昨年9月11日の同時多発テロ事件以来、多くの関心を集めているテーマだけに約150名位の参加者をえ、高い関心を呼んだ。

 報告は、まず桜美林大の加藤朗会員が、テロ事件以来アメリカの安全保障政策が自国の「境界防衛」からテロ組織という「非国家主体」に対抗するための「辺境防衛」に変化し、「帝国」的な性格を強くしたと指摘した。次いで、防衛研究所の片山善雄会員は、テロ活動は元来「国内治安維持」の対象であり、徒に「戦争」視して過剰反応を示すと、かえってテロリストの術策にはまる恐れがあると指摘した。最後に、東洋英和女学院大の池田明史会員が、9.11事件はアメリカの中東政策がイラン・イラクの「二重封じ込め+和平プロセス」からパレスティナの過激派も加えた「三重の封じ込め」に転換しつつある時に発生した結果、ブッシュ政権は、イスラエルのシャロン政権によるアラファト排除に追随し、パレスティナ情勢の混迷を促進したと分析した。

 ついで、コメントに移り、静岡県立大の梅本哲也会員がアメリカが依然として強大な「国民国家」である面と「帝国化」との関係や戦争に近いテロの存在という疑問を指摘した。次に、防衛大学校の宮坂直史会員より、反テロ活動でかえって国家の役割が増大している面やテロによる心理的被害の影響などテロ対策は総合的にみるべきとのコメントがあった。フロアーからも、9.11前後の国際政治の変化の存否、テロと貧困との関係、中東世界におけ「反米主義」の政治的利用の問題など重要な指摘があり、活発な討論の中で部会は成功裡に終了した。

(油井大三郎:東京大学)

部会6 冷戦と同盟

 冷戦が終わってからはや十数年がたち、冷戦がいまや歴史の一部になろうとしている。そこで本部会は、冷戦史研究の視角から、冷戦時代、同じ時期に形成された二つの同盟 ---つまり中ソ同盟と日米同盟を新しい資料を使って再検討したものである。とくに前者は十年もたたないうちに分裂したのに対して、後者は冷戦を生き延び「再定義」されていることに関心が払われた。

 はじめに毛里和子会員(早大)が中ソ同盟について報告し、とくに社会主義陣営の同盟とは何だったのか、中ソ同盟はその後の中国外交にどのような影響を与えたか、そして、冷戦期の同盟と冷戦後の同盟の違いなどについて論じられた。同報告によれば、中ソ同盟は同盟とはいってもその内容は核開発協力体制といった性格が強く、共同防衛は軍の一部を除いて考えられていなかった。同同盟はきわめて非対称的だったことや制度化が著しく遅れていたので「脆い同盟」だったと説明した。他方、管英輝会員(九大)は、日米同盟が続いた理由として、いかにして同同盟が、日本国内での障害を減らしたかを論じた。たとえば、米国側によってなされた日本側の核アレルギーをなくすために「核ならし」が行われたことを詳しく論じた。

討論者の横手慎二会員(慶大)は、冷戦が終わったことによって、これらの同盟の意味がわかりやすくなった面と分かりにくくなった面があるとした上で、日米同盟が今広く受け入れられるようになったのは、ソ連についてなされてきた議論が意味を失ったからであり、同盟についてのアイデンティティや考え方の変化も大きいとの指摘があった。井上寿一会員(学習院大)からも二つの報告について詳細なコメントがなされた。ついでフロアーから二つの報告についての多くの質問が出され、活発な討論が展開された。       

(土山實男:青山学院大学)

部会8 ・ 9 日韓国際政治学会合同シンポジウム

 韓国国際政治学会との合同シンポジウムは97年から始まったが、昨年3月、韓国国際政治学会(KAIS)が日本国際政治学会側を招待する形で再開された。これをうけて11月の淡路研究大会では韓国側から5名の代表をはじめて招待し、「北東アジアの地域協力と日韓関係」「朝鮮半島の和平プロセスと日韓関係」という二つのセッションを設けた。

 第一セッションでは、韓国・慶熙大学の南宮教授が日中間の北東アジア三国による「東アジア共同体」の必要性と韓日両国の課題として、今世紀初頭に創設することの必然性と必要を説いた。これに対し、立教大学の高原明生会員は、中国と日本を軸に北東アジアの地域協力を弁じた。コメンテーターの慶応大学・小此木政夫会員は、地域協力は可能な所から勧めるべきであると指摘した。張寅性ソウル大学教授も、日中韓の3者のアジア観がそれぞれ違うところから出発し、相互の共通性を論じるべきとコメントした。

 第二セッションでは、焦点の朝鮮半島問題となり、静岡県立大学の平岩俊司会員は9月の日朝平壌宣言をめぐる日本の内外政策を歴史の流れの中で論じた。これに対し韓国の柳浩烈教授(高麗大)が、金大中政権の朝鮮民主主義人民共和国にたいする、いわゆる太陽政策に関連して、これが北側にとって有利に働くだけで 、朝鮮半島全体の安定にはつながらなかったと批判的考察を含む報告を行った。

 討論にたった忠南大の朴在晶教授は、太陽政策の評価については歴史的立場に立つべきであると論じた。また朝日新聞の波佐場編集委員も、米朝間の不信が核問題の根っこにあると論じた。双方のセッションには約300名の会員が参加し、議論でも活発な展開があった。

 日韓両国の国際政治学会は、このような日韓交流を定期化することでも了解を見た。次回もつくば研究大会で韓国側を招待することになる。

 なおこの国際会議に関しては、有斐閣の江草奨学金、および朝日新聞社の後援を受けた。02年11月23日の朝日新聞紙上でも報道されたことを付記して感謝したい。  

(下斗米伸夫:法政大学)

部会10 紛争後の国家建設と国際社会

 橋本敬一会員と小久保康之会員から、デイトン合意後のボスニア・ヘルツエゴビナを事例として、現地での直接の経験をもとにした分析と、EU(ブリュッセル)の見地から見た分析が、それぞれ、提示された。ついで横田洋三会員から、国際法、とくに国際機構法の専門家の見地に立って、国連が憲章に言う内政不干渉の原則にも関わらず、ある国家の政権樹立に関与することを必要かつ望ましいと考えるようになった歴史的経緯ならびにそのような関与の法的根拠についての問題点の指摘があった。討論者の柴宜弘会員は、アメリカの役割についての質問と、EUの経済支援における2国間方式と地域協力の方式とのウエイト如何などの問題を指摘した。

 橋本報告は、軍事部門では武力的紛争の再発防止という目的が一応達成されている反面、民生部門では和平プロセスの成果があがっていないという現状認識をもとに、主として現地での和平履行体の問題点を指摘し、その改善案を探求するという趣旨であった。またその背景にあるアメリカと欧州諸国との立場や考え方の相違点を指摘した。さらに、そうしたなかで、欧州化のプロセスが進んでいるという最近の傾向についても指摘があった。それを受けて、小久保報告は、西バルカン(あるいは南東ヨーロッパ)地域諸国にEU加盟の可能性や地域協力の推進を将来目標として提示して、その目標へ向かう「道路地図」を描くというのがEU方式の経済援助であり、ボスニアにもその方式で一定の成果を挙げているというおおむね肯定的な評価がなされた。

 ある一国の建設ないし作り替えを国際社会の管理の下で行おうとする野心的な試みは、近年その必要性が増大しつつあるかに見える。このテーマについては、例えば、戦後日本の連合国による共同管理(占領)と言った一見縁遠いような事例との比較をも視野に入れると、将来、より豊かな議論が展開できるのではないだろうか。

(渡邊昭夫:平和安全保障研究所)

部会12 The Political Economy of the Environment and Development

    Ten years from the Earth Summit in Rio de Janeiro, the World Summit on Sustainable Development (WSSD) held in Johannesburg in 2002 relatively put more emphasis on the importance of development than that of environmental protection. The panelists presented their different aspects to deal with the issue of the environment and development.

    Prof. Mori of Yokohama City University described and analyzed water management issue, or one of WSSD's five major priority areas: namely water, energy, health, agriculture, and biodiversity. He addressed a question about why international fresh-water management has been lagging behind other international environmental regimes.

    According to him, the main reason for this policy lag is that an integrated water management has yet to be realized among water for sustainable economic growth,sustainable human and social development, as well as ecological sustainability.

    Dr. Barett of the Institute of Advanced Studies (IAS) of UN University emphasized the importance about how to implement the notion of sustainable development. His suggestion was through a social theory and its practice of eco-modernization (EM), which seeks an innovative way of balancing the environment and development. He showed the audience about the fact that EM has shown various positive records in several industrialized countries of effectively promoting higher energy efficiencies, reduced per capita pollution emissions and waste reduction. Prof. Schreurs of University of Maryland analyzed why Germany, the U.S. and Japan had been acting as they did vis-a-vis the issue of climate change in particular and sustainable development in general. She termed the difference between the three main players as the "environmental divide" and suggested the possibility of bridging this divide. Being asked by an audience an opinion about the US' rejection of the Kyoto Protocol, while critical about US unilateralism, she reminded us all that a big "STATE" like California introduced its independent plan of reducing greenhouse gasses.

    Finally, Prof. Lee of Nagoya University wove these three colorful threads of presentations and contestations into a meaningful fabric with "insightful" design. A small number of the audience, but faithful and serious, raised significant questions and comments that substantially contributed to elevating the quality of the session on the political economy of the environment and development.

(Hiroshi Ohta:Aoyama Gakuin University)

部会13 中国と日本外交(日本外交史部会)

 1940年代から50年代にかけての東アジア国際政治史については、昨今注目すべき多くの研究成果が公刊されている。本部会はそうした学界の動向を反映して、3人の研究者から刺激的な報告が行われた。

 川島真会員(北海道大学)の「対日賠償請求問題と中華民国」は、先行業績を踏まえながら、主に中華民国側の档案史料を使用して、中華民国の対日戦後処理を、とりわけ賠償問題を軸に検討した。中華民国は当時として周到に賠償準備を進めていたが、国際政治の変動、国共内戦の敗北によって利用されることなく調査結果は埋もれてしまい、対日賠償を断念せざるを得なかった。しかし中華民国がはじき出した被害総額515億7500万ドル、死傷者1278万人強は、その後中華人民共和国側の見解に継承されていくという従来の研究が指摘したことのない点を提示した。

 袁克勤会員(北海道教育大学)の「日華講和と日米交渉」は、まず3つの問題点とそれへの報告者の解釈を示して注目を集めた。第1は、吉田首相の上海に貿易事務所を設置してもいいという発言は、中華人民共和国との政治関係樹立、あるいは「等距離外交」を意味するものであるか、であり、全体を分析すれば、国民政府との政治関係を否定せず、人民中国との経済関係を容認するという「政経分離」、「二つの中国」論だと解釈するのが妥当であるという。第2の「吉田書簡」が作成された際、日本政府は「今後(国民政府の支配下に)入るべきすべての領域」を日華条約の適用範囲から除外しようと要求したか、については、アメリカ国務省、日本外務省が公開した公文書と矛盾するとし、第3の吉田の中国観はイギリスの中国認識に近いため、日華講和に消極的であったとの通説に対し、吉田はイギリスの北京政権承認政策に批判的であり、アメリカの中国政策と一致するのは日本の利益に合致するとの認識を持っていた。そして日華条約をめぐる実質的な交渉は日英交渉ではなく日米交渉であったとの解釈が提示された。

 陳肇斌会員(東京大学)の「1950年代の日本の中国政策」は、従来の研究が、第3次吉田内閣に始まる1950年代の日本政府の中国政策が、アメリカと同様国民政府を中国の正統政府とする「一つの中国」の立場に立っていたという仮説を前提としていたのに対し、対日講和の成立過程に形成された日本の中国政策は米英と異なり、「二つの中国」もしくは「一つの中国、一つの台湾」の立場に立つものであり、少なくともそれが破綻する1950年代末の岸内閣まで一貫するものであったとの解釈を提示している。

 各報告とも一部公開された日本側、中国側の資料に加え、米英の資料をも参照し、多面的な資料操作によって結論を引き出している点、説得力がある。

 最終日の最後の部会であったため、時間に追われるという制約もあったが、田中孝彦会員(一橋大学)などから質問が出され、熱心な討議が行われた。

(池井優:青山学院大学)

《分科会概要》

分科会A-2・B-2 ロシア・東欧 1・2

 ロシア・東欧1では「ロシアの外交」というテーマで、小泉直美会員(防衛大学校)が「プーチンの外交政策転換の意図、安定度、意義」の報告を行った。小泉会員は、プーチンの外交政策転換の中でも特に超大国外交を何時どのように捨てたのかということに焦点を絞り、新政策のコストよりもベネフィットが大きいという観点からプーチンが、2000年夏の論争を経て2001年3月の大統領令により対米核パリティを放棄することで、超大国外交を捨てたことを指摘した。討論者の中野会員(鈴鹿国際大学)から、超大国外交はポストソ連において捨てており論点はむしろ米国と勢力を争うレトリックを何時捨てたかではないか、また西側協調よりも国内自助努力の方がプーチン政策の鍵ではないかなどついて質問がなされた。諸富、下斗米、岩間、林、金の各会員から追加すべき論点や自説の紹介などについて有益な発言があった。

 ロシア・東欧2では、「ウクライナの内政」というテーマで、南野大介氏(筑波大学大学院)が「ウクライナ議会における多数派構築の類型―議会速記録を中心とする実証研究」の報告を行った。南野氏は、クチマ大統領が政権運営可能なのは最高会議に恒常的多数派を有しているからではなく、むしろ各勢力に対して影響力を持ちつつ議会における無秩序を作り出しているからであることを指摘した。討論者の末澤会員(平成国際大学)から、速記録による実証分析を評価する一方、ウクライナでは政策等で政党が形成されていないのではないか、クチマ大統領が作り出した無秩序による安定と言えないのではないか、野党は何故反大統領デモを利用できなかったのかなどについて質問がなされた。湯浅、岡田、アレクサンドロフの各会員からロシア要因について、速記録閲覧について、政策無き政党の実態についてなど、有益な発言があった。

 約30名の参加のもとで議論が活発に行われた。席上日本ロシア・東欧研究連絡協議会の昨年の第2回シンポジウム「日本とロシア」の記録集が検討中であること、内外の学会情報の上記協議会事務局北大スラブ研究センターへのメイルによる提供依頼がなされた。 

(岩田賢司:広島大学)

分科会A-3・B-3 国際政治経済1・2

 本分科会は二部構成で開催され、金融関連のテーマを扱った第一部では、宇田川光弘会員(上智大学)が重債務貧困国(HIPC)に対する先進諸国の債務救済政策をめぐる国際関係について、そして田中紀子会員(関西学院大学大学院)が1997年以降のタイの金融政策形成に関してそれぞれ報告した。次に討論者の吉野文雄会員(拓殖大学)から、宇田川報告に対して、現代世界が国家システム、国際社会および世界社会の三層から構成されるという主張とこの事例研究との関係性について、そして田中報告に対しては、ARIMAの重回帰分析の適切性などの問題について疑問が呈せられた。

 続いて、貿易関連のテーマを扱った第二部では、岡本次郎会員(アジア経済研究所)、籠谷公司会員(関西学院大学大学院)及び直井恵会員(日本学術振興会特別研究員)が、それぞれ自由貿易協定(FTA)の多国間化の可能性、GATT/WTO履行問題、そして日本における産業救済措置の選択に関して報告を行ない、討論者の大矢根聡会員(金沢大学)から、岡本報告に対してWTOに対する不満などのFTAが出てきた政治的な背景について、籠谷報告に対してはルール履行の計測可能性ならびに地域主義と多国間主義の補完性について、そして直井報告に対して報復コスト以外の要因(例、官民関係の類似性、WTO保障措置手続の明瞭化)が効いた可能性について建設的なコメントが付された。ロバストな分析をベースとする報告が多かったせいか、フロアを交えた議論も全体としてピンポイントで、生産的なものになった印象を受けた。 

(山田高敬:上智大学)

分科会A-4 東アジア1

 東アジア分科会1では、朝鮮半島に関連する二つのテーマについて、若手研究者による意欲的な報告が行われた。これまで学問的な考察が少なかった問題だけに、30人あまりの参加者を得て、活発な議論が展開された。玄大松会員(東京大学大学院)は、「日韓関係の実証分析」と題する報告で、韓国における独島/竹島問題と対日認識の関係について、現行教科書分析、全国紙9紙の内容分析、中高大学生約2000人の意識調査などをもとに、調査結果を紹介した。その要点は、メディアで独島問題の比重が高いこと、学生たちが早い時期から詳しい独島知識を持っていること、日本接触度と日本イメージ、独島認識との相関関係が高いことなどである。

 第2報告「朝鮮民主主義人民共和国のベトナム派兵」で、宮本悟会員(神戸大学大学院)は、2001年に刊行された『金日成選集』などの新資料に基づき、北朝鮮空軍部隊のベトナム参戦の実態解明とともに、その目的が中ソ対立を抑制し、対米国際戦線の再構築を唱えることにあったという解釈を提示した。

 討論者・松岡完会員(筑波大学)は、玄報告に対して、対日感情の社会的存在が独島認識より先行しているのではないか、対日認識形成における家族の役割はどうかなどの問題を提起し、宮本報告に対しては、当時派兵を非公開にしたのは、戦略的目的による宣伝効果に反しないか、目的に比べ一個連隊は規模が小さすぎないか、支援と派兵を同じ論理で説明できるのか、などの疑問を呈した。司会者からは、従来の説明や知見との違い(玄報告)、派兵という軍事的手段とベトナム反戦という外交戦略との矛盾(宮本報告)などの指摘があった。会場からも、朝越関係の視点の必要(前田康博)、在韓米軍撤退の目的と対南挑発の矛盾(道下徳成)、独島に関する歌の流行の影響(木村幹)、ベトナム派兵と統一戦略との関係(服部聡)など多数の会員の質問があった。

(李鍾元:立教大学)

分科会A-5 アフリカ

 三須拓也会員(名古屋大学大学院)が『コンゴ危機(1960−61)研究の現在』について報告した。コンゴ危機研究史を整理した上で、検討すべき課題としてベルギ―の植民地主義政策の再解釈、レトリックとしての冷戦、アメリカ政府の対応、アメリカの代理としての国連、国連外交の困難、ルムンバの政治権力などを紹介し、多国間介入の事例としてコンゴ危機の歴史を本格的に書き替える必要性を強調した。

 討論者の落合雄彦会員(龍谷大学)は報告の積極性を評価しつつ、論点をより明確にすることを提案した。報告と討論を受けて会員からコメント(コンゴ危機当時の世界情勢の理解、文献・史料の利用など)が出された。出席者も多く、活発な発言が行われ、有意義な分科会であった。コンゴ危機に閏してはベルギー人歴史家ドウィットの著書『ルムンバの暗殺』が1999年に公刊され、ルムンバ暗殺にベルギー政府が関与していたこと、それを国連や米英諸国も支援していたことを解明し、歴史の書き替えを提起した。この点の紹介を含む、三須報告はまさに時宜にかなったものであり、今後の研究の発展が期待される。

(川端正久:龍谷大学)

分科会A-6 理論と方法1

 まず、河村弘祐会員(東京大学大学院)が、「国内紛争と国際関与---コミットメント・プロブレムと国際褒章」の論題で報告を行った。将来、「力の優位」を利用して少数派に譲歩を要求しないと多数派が信頼可能な形でコミットできないために、少数派が現時点において武力紛争に訴える誘因を持つ---ここに、政治対立の武力紛争化の論理を見出したジェームズ・フィアロンのモデルに修正の余地はないだろうか。河村報告で検討されたのは、フィアロンのモデルでは「多数派が少数派に要求する譲歩」を、「多数派が少数派に対する要求を自制する」ことに対する「褒章」という形で国際社会が肩代わりすることができるならば、少数派の将来における不安が軽減されることによって武力紛争に訴える誘因が低下する、という論理であった。

 次に、石黒馨会員(神戸大学)が、「国内紛争と国際介入---ゲームの均衡解としての抑圧・内戦・解放」の論題で報告を行った。河村報告は「(国内)多数派」が少数派に対する譲歩要求を自制するコミットメントの信頼可能性に着目したのに対して、石黒報告は「国際社会」が国内紛争に介入するコミットメントの信頼可能性に分析の焦点を合わせた。即ち、国際社会による介入のコミットメントやその信頼可能性が国内紛争に及ぼす影響を分析することを通じて、国内紛争回避の条件を検討した。

(石田淳:東京大学)

分科会A-7 安全保障1

 「A.ウォルファーズの安全保障理論---その今日的意義と課題」というテーマで奥迫元会員(国士舘大学)が報告した。従来、ウォルファーズは、モーゲンソーらの陰に隠れたためか大きな注目を集めてこなかったが、冷戦以後、彼の安全保障概念を始めとして、ウォルファーズの評価が高まっている。40頁にもなる本報告は、その背景を説明し、ウォルファーズ理論の特質に迫ったもので、とくに同時代の4人のリアリスト---E.H.カー、R.ニーバー、H.モーゲンソー、そしてJ.ハーツ---と比較することによってウォルファーズを浮かび上がらせ、彼の理論が、アイデンティティ概念を中心として構築されていたと報告した。

討論者の赤根谷達雄会員(筑波大学)から、なぜウォルファーズがリアリズムの主流にならなかったのか、また、彼のナショナル・インタリストとは何かなどの質問とともに、敵と味方という二項対立ではなく、敵の中にも味方が、また味方の中にも敵がいる、という論理で捉えた方がよりわかりやすいのではないか、という指摘があった。また土山實男(青山学院大)からは、モーゲンソーやウォルツの論理は単純でシャープなためわかり易いが、ウォルファーズのは幾重にも入りくんでいてわかりにくいのでポピュラーにならなかったのではないか、そもそも彼は多くのリアリストをvulgar(俗悪)realistと呼んで批判的であり、自分がリアリストといわれるのが嫌だったのではないか、とのコメントがあった。他にも神谷万丈会員(防衛大学校)などから質問があり、志鳥学修会員(武蔵工業大学)の巧みな司会で充実したパネルとなった。

(土山實男:青山学院大学)

分科会A-8 トランスナショナル

 境井孝行会員による『国際消費者運動 ---国際関係のフロンティア』(大学教育出版、2002年)を取り上げ、その理論や研究内容について検討した。報告者として三上貴教会員(広島修道大学)が章ごとに詳しくその内容を紹介した。章名をあげていくと、第一部には4つの章があり、「消費社会と消費者運動」「国際的社会集団の形成と機能」「国際消費者運動」「NGOの消費者保護に関する考察」である。ついで第二部には「国際消費者問題と消費者運動の資源動員」「食の国際化と消費者問題」「消費者問題の政治学的考察」「消費者問題の政治過程」という4つの章が収められている。三上会員は研究の対象として、取り上げられているIOCU(国際消費者機構)に注目し、これが国際政治のアクターとしてどのような意義や問題点があるかについて議論を展開した。

 討論者の加藤普章(大東文化大学)は三上報告を受けて、次の4点を指摘した。まず、国際的な商品としていわば「購入可能」な商品が取り上げられているが、通常の消費者がコントロールできない場合(たとえば石油など)はどうなるか、第二点としてアメリカ主導であることへの疑問、第三点として生産者と消費者の間にある利害のズレ、そして情報という商品はどうなるか、である。

 境井会員は2000年8月に38歳の若さで亡くなられた。故人が開拓した新しい研究分野を今後、われわれがどのように発展させていくか、これからの課題となった。

(加藤普章:大東文化大学)

分科会B-5 平和研究

 報告の論点の共通性から分科会サブタイトルを「市民社会『化』と平和」とした。

 奥迫久士会員は「現代世界における『市民社会論』―80年代〜90年代を中心に―」と題し、東欧、ラ米、アフリカ、アメリカ、西欧、日本、グローバルの7つの空間における市民社会論、比較運動論を要約し、ネオリベラリズムで各地域の関係と流れを整理しうるとした。竹村卓会員は「グローバル化するサイバー市民社会をどう見るか〜インターネットに見る『反コスタリカ言説』を手がかりとして〜」で、匿名性と伝聞性のためにネット情報は玉石混交であり、「風評のメディア」であるインターネットには、メディアリテラシーが求められるとし、コスタリカの非武装性をめぐるネット上での議論をケースに豊富な現物資料を示した。五十嵐誠一会員の「アジ ア諸国における民主化と紛争―『中心』と『周辺』、『市民社会』―」は、頻発するアジアの国内武力紛争から、インドネシア、フィリピン、ミャンマーをケースとして、民主化と紛争との関係から、複雑で多様な民主現象を改めて意味づけした。  討論者の佐々木寛会員は、市民社会、民主化の定義を明確にし、歴史性を考慮すべきとし、今村庸一会員は、国家主権と情報のコントロール、また、中国、イスラム地域にも触れてほしいと指摘があった。フロアからは、タイムスパンのとり方、地域研究の成果への目配りの必要性など のアドバイスがなされた。

(多賀秀敏:早稲田大学)

分科会C-1 日本外交史2

 これまで韓国では、日本が、日露戦争を口実にして無理やり朝鮮半島を占領した、とみなされてきた。ところが、韓国啓明大学校の李盛煥会員は、「日露戦争と朝鮮の民族運動」の中で、次のように強調した。すなわち、戦争当初、朝鮮民衆が、この戦争を白色人種と黄色人種の間の紛争ととらえ、ロシアによる占領を恐れ、日本軍の進出を歓迎した。なぜならば、朝鮮の啓蒙主義者たちが、日露戦争に乗じて専制君主制を打倒して、民主的な議会制度導入を狙っていたからだった。さらに、日露の対立の中で、朝鮮の中立化を達成できなかった代わりに、日本・中国・朝鮮の三国提携論が提案されていたことも見逃せない。結果として、朝鮮側のもくろみは実現せず、日露戦争以降、日本による保護国化がすすめられるが、少なくとも日露戦争中は、朝鮮は日本 に好意的だった、と主張している。

 國學院大學大学院の菅野直樹会員は、「大三輪長兵衛と日韓間非公式外交ルート」において、京釜鉄道の建設にかかわった大阪財界人の大三輪に焦点を当てた。日露戦争前、大三輪は、外務省の依頼を受け、鉄道の敷設権を得るなど、韓国宮廷の親日化工作を成功させた。一方で、朝鮮の中立化構想を潰す遠因を作ったとも言える。以後朝鮮保護国化がすすむ中で、彼の非公式ルートは役割を終えたと結んでいる。松村正義討論者から適切なコメントがあり、参加者も含めて活発な議論が交わされた。              

(稲葉千晴:名城大学)

分科会C-2 東アジア国際政治史1

 本分科会では古瀬啓之会員による「『クリスマス・メッセージ』(12月覚書)を巡って」、および鹿錫俊会員による「『防共』問題を巡る日中間の相剋」という戦間期を対象とした2報告が行われた。

 古瀬会員は、1925-6年の北京関税会議崩壊後、英国が列国協調体制から離脱したとする従来の解釈に対し、広東付加税問題などに見られる外相A.チェンバレンの東アジア政策は中国の海関維持を軸とし、意図としてはむしろ列国協調を目指していたとの解釈を提示した。フロアからは、英国が自ら先導して協調を達成しようとする政策はいつまで続いたたか、などについて質問が出された。

 鹿会員は、1933-36年のソ連と中国共産党をめぐる日中間の相剋を検討した。用意されたレジュメは、蒋介石文書《困勉記》《事略稿本》などを資料に中ソ矛盾の構造と国民政府内部の路線対立を取り扱った第I部と日本の資料を用いた第II部とに分かれていたが、報告は第I部を中心とし、諸勢力を相互に牽制させ種々の可能性を試した蒋介石の方針の特質が詳細に論じられた。フロアからの質問も、天羽声明の連ソ政策への影響、ソ連と対抗する上でのドイツ要因、逆に独中ソ連携による英米への対抗構想など、文書館史料の細部を確認し尽くそうとする意欲に満ちたものであった。               

(後藤春美:千葉大学)

分科会C-3 欧州国際政治史・欧州研究

 本分科会では、50名近い参加者を得て、2本の報告をもとに活発に質疑応答がなされた。

 井関正久(東京大学)報告「1960年代の冷戦構造とドイツ政治文化」では、冷戦構造の基礎が固まる中、各ブロック内での地位を確立していった東西ドイツにおいて、若年世代の抗議がいかに噴出・展開したのかが論じられた。同報告では、両ドイツでの「抗議文化」萌芽の有無が決定的となった68年を、東西ドイツ政治文化形成の分岐点として位置づけた。討論者の伊東孝之会員(早稲田大学)からは、政治文化の定義の欠如、異なる二国を単にドイツと題した問題点などが指摘され、倉科一希会員(一橋大学院)からは政治エリート間の内政的対立と政治文化との関連についての質問が出された。

 五月女律子(藤女子大学)報告「1960年代のスウエーデンの中立政策と欧州共同体加盟問題」では、1960年代のEEC/EC加盟に関する同国内における議論は、その後の1990年までの政府の対EC政策を決定づけ、また同国の中立政策の内容を明確にした点で重要であることが指摘された。討論者の吉武信彦会員(高崎経済大学)から、1960年代以降の同国のEC/EUに対する姿勢に関して捕捉説明などがあり、八十田博人会員(東京大学院)、鈴木一人会員(筑波大学)らから、同国の特殊性や1950年代との関連についての発言があった。

 次回大会にて本分科会で報告ご希望の方は、報告題目と簡単な要旨をご送付ください。

(植田隆子:国際基督教大学)

分科会C-4 アメリカ政治外交2

 本セッションでは「カナダ連邦政府の文化政策と国民文化形成」と題し、溝上智恵子会員(筑波大学)による報告が行われた。副題「国立博物館におけるカナダ文化の表象」が示すように、そのねらいは博物館の活 動を機軸として、カナダの文化政策の趣旨・推移・現状を分析したものである。文化が深いレベルで多面的、かつ独自の先住民族文化を擁する分断的カナダが、その文化政策を通して、いかにカナディアン・アイデンティティを構築していくか、その模索の姿が報告された。カナダ連邦政府の文化政策における原点である『マッセイ報告』(1951)の内容が考証され、さらにその後のカナダ・カウンシルの設立から多文化主義法やミュージアム政策にいたるまで時系列的に分析・考察された。そして、カナダ国立博物館、カナダ国立文明博物館等での展示内容を事例としながら、たとえば先住民文化に対する連邦政府や国民の意識変化、あるいは多文化主義を国是とするカナダの在り方、そして底流にあるアメリカとの異質性を強調したいとするカナダのディレンマにまで、議論が展開された。博物館という凝縮された文化空間についての考察を通し、カナダの歴史・国家像・国民意識まで想像力の広がりを見せてくれた良質の報告であった。 

(竹中豊:カリタス女子短期大学)

分科会C-6 ラテンアメリカ

 1990年代の自由化・民営化の流れの中で,その先頭を走ってきたアルゼンチンが未曾有の経済危機に見舞われている現在、改めて途上国経済における国家の役割が問われている。睦月規子会員〔神戸大・院〕の報告「アルゼンチンの国有化とナショナリズム ---ペロン政権の英資鉄道買収を中心に--- 」は極めてタイムリーであった。19世紀後半以降、農牧産品輸出によって繁栄したアルゼンチンは英国への依存を深めた。世界恐慌後、経済官僚のプレビッシュらは為替統制などによって経済への国家介入を試み、イラススタ兄弟など民族主義的知識人は反英帝国主義論を展開し、自由貿易主義を糾弾する。第二次大戦中の対ア債務超過相殺のため英国が提案した英資鉄道売却案に当初冷淡だったペロン政権は、こうした世論に動かされ、「経済的独立」のシンボルとして1948年に鉄道国有化を実現した。

 以上の報告に対して、討論者の内田みどり会員(和歌山大学)から、同様に英国の非公式帝国であったウルグアイで20世紀初頭のバッジェ大統領期に公共事業の国営化が実現したが、アルゼンチンでは何故鉄道に固執したかとの問題提起がなされ、会場からもアルゼンチンの鉄道に関する質問が相次いだ。                      

(乗浩子:帝京大学)

分科会C-7 理論と方法2

 本分科会の企画趣旨は、アジア太平洋地域を対象とする対外政策研究と国際政治理論研究との接点を、安全保障と国際政治経済という二つの政策領域を比較対照しながらパネル・ディスカッション方式で探る、というものであった。しかしながら、古城佳子会員がやむを得ざるご事情で欠席されたため、樋渡由美会員の報告を軸とする展開となった。

 まず、樋渡会員が「対外政策研究と理論研究の接点---安全保障の場合:The Rise of China と同盟理論」の論題で報告を行った。樋渡会員の報告は、台頭する中国の(現実の、あるいは認識上の)「脅威」に対する日米の「あるべき」対応をめぐる政策論争を振り返りつつ、既存の「同盟理論」の枠組みでは、日米の「防衛協力」が、将来の中国における政策選択に及ぼす(正の、あるいは負の)効果を十分に説明できないと指摘した。その上で、ジェームズ・モローの理論モデルをベースに、それを発展的に応用する可能性について示唆を含んだ分析を行った。

 これに対して、フロアからはモデルの適用範囲、国内政治を「分析的に」捨象して国家を一枚岩の意思決定主体として捉える「分析上の」仮定の妥当性などについて質問が寄せられた。80名近い会員の参加は、「理論研究」と「政策研究」との接点に関する関心の大きさを物語るものであった。                           

(石田淳:東京大学)

分科会C-8 安全保障2

 竹内俊隆会員(大阪外国語大学)が「核兵器の信頼性・安全性・質的向上 ---核爆発実験禁止との関連で」と題する報告を行った。包括的核実験禁止条約に対しては核兵器の信頼性、安全性という観点から批判が寄せられるが、技術的に言えば核実験を実施せずとも信頼性、安全性の保持には殆ど支障がない。一方、新型式核兵器の開発には核実験が必須と考えられるが、現下の国際環境では何れにせよ新型式核兵器の開発は好ましくない--- というのがその趣旨であった。これに対し、討論者の納家政嗣会員(一橋大学)から、核兵器の開発、運用や備蓄管理を廻る状況、及び米国議会における包括的核実験禁止条約批准拒否の要因、過程に関して問題が提起された。また、会場からも未臨界実験の性格を含む幾つかの論点が提示され、活溌な議論が展開された。

(梅本哲也:静岡県立大学)

分科会C-9 政策決定

 今回は、日本の現在進行中の問題にかかわる政策決定について報告してもらった。まず、信田智人会員(国際大学)の「内閣機能の強化 ---テロ対策特措法、有事法制法案を事例として」報告は、90年代に行われた各種の政治改革によって内閣官房の影響力が強く政策決定に作用するようになり小泉政権は圧倒的な国民の支持を背景にテロ対策特措法を成立させたが、逆に有事法制法案は国民の支持の低下によって成立させることができなかったと分析した。ついで、古川浩司会員(中京大学)は「国民合意プロセスへの転換 ---WTO農業交渉日本提案を事例にして」として、現在進行中の問題であると断りながらも、前ラウンド時のコメ問題に見られたような、国民への裏切りのそしりを避けるため、国民合意プロセスのアプローチをとり、慎重に対処している現実を詳細に分析して検証した。討論者の長尾悟会員(東洋学園大学)は、主に政策決定モデルを使っての説明から何が言えるについて言及し、フロアーからは特に信田報告に対して、別の事 例との関係を問う形で討論が行われた。

 延べ30名近くの参加者があったが、レジュメのみを持ち帰った会員も結構多く見られ関心の高さを示すものと言える。                    

(飯倉章:城西国際大学) <

分科会C-10 トランスナショナル2

 曙光報告「国際的な人の移動に関する政治的要因」は、1980年代以降における中国人の日本への移動について、日本側の受け入れ政策の変化を中心として、分析した。王津報告「中国の留学生送り出し政策の沿革と留学ブームの推移」は、同じ時期における中国側の送り出し政策の変化に焦点を絞って、検証した。いずれも、作成中の博士論文の一部分を取り出して、実証的で、手堅い内容の報告であった。

 質疑は、日本側関連規定の読み方、帰国学生数のデータの根拠、新移民の概念規定、留学先としての日米比較、中国の留学生政策と大学改革との関連、外国人研修制度の人権問題、グローバル化時代における留学生の平和的役割など、多岐にわたり、非常に活発であった。

 最後に司会兼討論者が、人の国際移動を研究するときの問題意識と理論的枠組の関連、マクロ(政策)とミクロ(個人的動機)の間を結ぶ媒介要因、グローバル化時代における国際移動の双方向性(日本から中国への移動の活発化)について問題を提起し、今後の研究課題とした。 

(初瀬龍平:京都女子大学)

分科会D-1・E-1 東アジア国際政治史2

 東アジア国際政治史分科会2では、朝鮮戦争に関する報告2本と中国残留日本人に関する報告を扱い、約30名の参加者を迎えて行われた。報告題目は以下の通り。

 鄭燮(日本大学大学院)「朝鮮分断の起源とその固定化過程:1943年〜1948年 ---38度線画定をめぐっての諸論争を中心に」

 森善宣(佐賀大学)「朴憲永の朝鮮戦争 ---開戦決定過程に関する再考察」

 呉万虹(神戸大学大学院)「中国残留日本人に関する包括的研究 ---移住、漂流、定着の国際関係論」

 鄭報告は、南北朝鮮を分断する38度線画定が、従来強調されていた軍事的便宜によるものばかりではなく、ソ連の膨張を阻止するとの政治的考慮によるところが大きいこと、またその画定にはリンカーン准将の役割が主導的であったことを指摘した。森報告は、北朝鮮の開戦決定過程を論じ、朝鮮労働党の統一工作とは別個に計画された金日成の開戦工作にソ中が同意したことにより始められ、同時にこれが朝鮮労働党内の権力闘争とからんでいたことを主張した。いずれも新しい資料を詳細に分析したものである。討論の中では、ソ連側資料が不足しているために分断に関する論議が米国の責任に偏る傾向があること、開戦における中国の役割が従来の通説以上に重要だったのではないかなどの意見が出された。呉報告は、中国残留日本人の日中それぞれへの定着について社会学的な手法を用い、各種の形態のパターンを整理し、各人の国籍アイデンティティー形成の様相を論じた。鄭、呉の両報告は博士論文の審査を終えたものであり、報告者の発表はいずれも完成度の高いものであった。             

(滝口太郎:東京女子大学)

分科会D-4・E-4 東南アジア1・2

 連続して2つのセッションを行った。第1(D-4)は、まずイェジョアウン会員(東海大学大学院)が「発展途上国の経済に与える政治的影響 ---ビルマ(ミャンマー)、タイ、インドネシアを比較して」の論題で3カ国を政治経済の面から比較・分析し、アジアにおけて自由化なき民主化は実現不可能であることを論じた。これに対して、討論者の伊野憲治会員(北九州市立大学)は、比較する理論的枠組が不充分であること、比較する3カ国の体制は時代が異なるために、位置付けが不明瞭であること、従って結論がわかりにくいことなどのシャープなコメントがあった。次に、松井佳子会員(日本学術振興会特別研究員)が「カンボジア和平プロセスにおけるオーストラリア外交」という論題で、カンボジア紛争の当事者ではなくミドルパワーのオーストラリアが、様々な利害関係が複雑に交錯した地域紛争の和平プロセスの打開において、どのような役割を果たしたかを論じた。討論者の小笠原高雪会員(山梨学院大学)は、オーストラリア提案(1989年―90年)は幅のある選択肢を提示したもので、それらが問題の具体的な解決(90年以降)に向けてどのように収斂していったのか、また、オーストラリアはアジア太平洋国家をめざすという動機で和平プロセスに関わっていったが、結果としてその目的は達成することができたのか、という興味深い質問がなされた。さらに、フロア(26人)からも、オーストラリアがCGDK(民主カンプチア連合政府)承認を取り消した影響などについて質問が寄せられ、活発な討論が行われた。

 第2(E-4)では「NGOはジェンダーの主流化の進展にどのような役割を果たしているか ---東南アジアを中心に--- 」という研究プロジェクトの報告を、5人のプロジェクト参加者が行った。望月康恵会員(北九州市立大学)「ジェンダーの主流化における国際機構の取り組み ---東南アジアの国際機構・制度を中心に--- 」では、APEC(アジア太平洋協力会議)やASEAN(東南アジア諸国連合)、APDC(アジア太平洋開発センター)という3つの国際機構の取り組みを紹介し、それぞれのアプローチや取り組みの差異は何を意味するのか、職務権限の問題はどうかなどを論じた。織田由紀子会員(アジア女性交流・研究フォーラム)「アジアの地域的女性NGOがジェンダーの主流化に果たす役割」では、女性2000年会議の準備会合および「持続可能な開発に関する世界首脳会議」アジア太平洋準備会合を例に、地域的な女性NGOがいかにジェンダー主流化を図ろうとしているかを提示した。田村慶子会員(北九州市立大学)「マレーシアのNGOとジェンダーの主流化」では、1990年代後半から積極的にジェンダー主流化を進めるマレーシア政府の意図と、女 性NGOは政府に対してどのような働きかけをし、いかなる役割を果たしたのか、今後の課題は何か、について論じた。森谷裕美子会員(九州国際大学)「フィリピン・パラワン社会におけるNGO活動とジェンダー」では、パラワンという少数民族社会において、どのようにNGO活動が展開され、それがジェンダー・バランスにどのような影響を与えているかを明らかにすることで、NGO活動が性差によって不利益が生じることの問題点を浮彫りにし、NGO活動のあり方を再考した。大形里美会員(九州国際大学)「インドネシアの女性政策と女性組織の関わり」では、全国規模の女性組織を傘下に擁するインドネシア女性会議と、1998年の政変以後に組織された小規模の女性団体が、ジェンダー主流化を進める政府の政策に積極的に関与する状況を分析した。フロア(27人)からの質問を受ける時間的余裕はなくなったが、後で何人もの方から個別に質問が寄せられ、報告者5人にとっては有意義な分科会となった。

(田村慶子:北九州市立大学)

分科会D-6・E-6 国際交流

 本分科会では、大衆文化交流と市民社会の協力という視点で日韓関係を分析した二つの報告 ---「大衆文化要素を介した国際文化交流政策の拡大傾向とその分析 ---日本と韓国の事例を中心に」(林夏生会員・富山大学)、「非国家主体による『トランスナショナル集合行為』の形成と影響 ---北朝鮮問題をめぐる日韓の人道支援協力を中心事例に」(金敬黙会員・東京大学大学院)が行われ、それぞれについて、和田純会員(神田外語大学)と上村英明会員(恵泉女学院大学)がコメントした。

 林会員は、韓国における日本大衆文化規制が「排斥」から「段階的開放」へ、さらに02年のサッカーW杯に向けて緩和される過程を分析し、大衆文化交流は両国の「国民的交流」のための重要なきっかけを提供した、と評価した。これに対し、国民的交流とは何か、政府はどこまでかかわるべきかをめぐって議論がわいた。

 また、金会員は北朝鮮の食糧危機に対する日韓NGOの支援を検証し、両国NGOは、それぞれ異なる動機から出発しながらも、国境横断的な価値観を共有したと論じた。これをめぐって、日韓市民社会のあり方、とくに在日コリアンの位置付けが議論された。

(阿部汎克:青葉学園短期大学)

分科会D-7・E-7 トランスナショナル3

 このトランスナショナル分科会では、若手研究者による市民権についての歴史的考察と現状分析を行った。まず杉木明子会員(元エセックス大学大学院)によれば、イギリスでは多文化主義的な社会の流れに対応するように、1990年代末に教育制度が改革され、公教育において多文化教育、宗教教育、そして市民教育が現場で展開されるようになったと言う。政治学の立場からのイギリスにおける多文化主義の実証研究の実例である。ついで吉田信会員(神戸大学)はオランダにおける市民権概念を歴史的に考察した。現在ではオランダは国際政治の大国とはいい難いが、歴史的には海外に植民地を有する国家であり、その関連で移民の受け入れや市民権概念の構築では多彩な試み(たとえば生地主義と血統主義の原理を交互に採用)が現在にいたるまで行われてれてきた。最後に大岡栄美会員(慶応大学)はカナダのトロントとモントリオールにおける移民たちの言語習得のパターン、そして市民権取得のパターンを詳細なデータとともに分析した。都市により、またエスニック集団により、カナダへ統合されるメカニズムが異なることも示された。

 討論者の溝上智恵子会員(図書館情報大学)は杉木報告に対し、イギリスでは教師に与えられるマニュアルは簡単なものであり、現場のニーズが大切なこと、吉田報告にはなぜオランダでは柔軟な制度変更が可能なのか、そして大岡報告に対しては、統合されるマイノリティの側の意見などはどうかと言うコメントがなされた。今後は市民権についての更なる比較研究や理論研究が望まれる、と言う結論で終了した。            

(加藤普章:大東文化大学)

分科会D-9 東アジア2

 小嶋華津子会員(筑波大学)「中国の党・政府・社会 ---「社区」建設をめぐる議論から」

 本報告は、中国の「社区」(住民コミュニティ)建設をめぐる昨今の議論をとおして、基層社会で生じつつある党・政府・社会関係の変化を分析するものであった。まず、政府‐社会関係に関し、機構拡張を狙う政府の圧力の前に、住民自治組織であるはずの社区居民委員会が政府機関化する状況があるものの、一部地域では、「社区」自治を支える中間団体の育成を図りつつ、任務・人事・財務の各方面で「政社分離」に向け制度化を進めている状況が明らかにされた。次に、「社区」における党の役割については、党支部と社区居民委員会の一体化により党の社会に対する統制力を強化しようとする党組織部の考え方が主流であるが、一部の学者からは社区居民委員会の政府機関化が懸念される中で党があくまで社会共同体の推進力となるためにはそれと一体化すべきでないとする意見も提起されている状況が紹介された。この議論は、「党政分離」をめぐる従来の議論を超え、「政社分離」という新しい状況下で党が自らの領導を如何にシフトさせてゆくのかという問題を提起している。報告後は、党の将来および「社区」建設と民主化の関係等についてフロアと議論が交わされた。               

(天児慧:早稲田大学)

分科会E-8 安全保障3

 この分科会は、部会11「現代日本の安全保障政策 ---吉田ドクトリンをめぐって」と対でセットされたもので、参加者が会場に入りきれず、会場を移しての開催となった。部会11が、高坂正堯や吉田外交を分析対象としているのに対し、本分科会には、中本義彦会員(静岡大学)が永井陽之助を分析対象とした。中本は、永井の全著作を体系的に分析して、永井政治学の方法論の特色やキーワードを解説した。たとえば、政治を、状況(例、男女の無定形な愛憎の葛藤)、制度(社会的に正当と承認された行動定型)、および機構(先の例でいえば「家庭」)とわけているが、20世紀の二つの世界大戦を制度の崩壊として捉え、その後の冷戦も、世界規模の「内戦」だと永井は見ていた。

 その中にあって、日本は、価値の多元的な秩序の創造と、国際的安全保障共同体の形成に参加することで自国の安全保障を高めることができると主張し、そのためには、必要最小限の兵力(基盤的防衛力)をもてばよく、ゆえに、吉田茂のしいた外交ライン(吉田ドクトリン)が重要だと論じたというのが中本の報告である。

これに対して討論者の酒井哲哉会員(東大)は、日本のリアリズムは、単に欧米のそれを移植したのではなく、選択して受容したのであり、それは、永井の場合にも、彼の『政治的人間』(1968年)の解説などによく現れていると指摘し、さらに永井は行動科学に批判的で意味論に造詣が深いため、彼のリアリズムが深みをもっていた、と論じた。フロアーから、軍事的リアリズムと政治的リアリズムの違いを指摘した北岡伸一会員(東大)、永井の政策提案がどれほど役立ったかをきいた坂元一哉会員(阪大)、冷戦以後の永井政治学の有効性について質問した中西寛会員(京大)など、多くの重要な議論が提出され、活発な討論となった。本報告は、永井の吉田ドクトリン論を扱いながら、永井政治学の真髄に初めて迫ったもので、パネルは大幅に時間を延長した。

(土山實男:青山学院大学)

分科会E-9 国際統合

 報告者は、2名で、ASEANとEUという性格の異なる2つの統合現象が事例として取り上げられた。まず、レ・クィン・フォン会員(東京外国語大学大学院生)が、「東アジアの地域統合 ---ベトナムのASEAN加盟の事例から」というテーマで、1995年にASEAN加盟を果たしたベトナムは、いかにしてASEANという地域機構に参加するに至ったのかを、政権指導者たちの政治認識の変容過程と国民の支持を獲得する過程を緻密に跡付けることで検討し、地域統合に参加するベトナムの国内政策の変化と国内政治に対する統合の影響に注目し、その政治過程を分析した。この報告に対し、討論者として小笠原高雪会員(山梨学院大学)から、何点かの有益なコメントがなされた。 

次に、原田徹会員(早稲田大学大学院生)が、「EUの正統性問題 ---国際行政学的観点からの考察」というテーマで、リンドブロムの議論とドローの議論を踏まえた「二元的インクリメンタリズム」の観点から、EUの正統性問題を理論的に分析し、二つの異なる価値原理である「民主主義」と「効率性」のバランスをとった総合的考察の意義を論じ、EUテクノクラシーに民主的正統性を付与するための制度的諸条件を明らかにした。いずれの報告に対してもフロアーから多くの質問やコメントがなされ、たいへん活発な討議が行われた。

(福田耕治:早稲田大学)

※今号に掲載できなかった部会、分科会の概要は次号に掲載する計画です。

《分科会活動報告》

《「理論と方法」分科会の活動報告》

 2002年8月23日、東京大学社会科学研究所において、以下の研究会を開催致しましたので、ご報告申し上げます。

題目: Words and Deeds: Mistrust and Reassurance in International Relations

報告者: Andrew Kydd (Department of Government, Harvard University)

 アンドリュー・キッド氏の報告は、国際関係における「信頼の醸成」の論理とその含意を合理的選択論の枠組みで(ゲーム理論の分析手法を用いて)考察するものであった。キッド報告に対して、討論者の渡部幹氏(京都大学総合人間学部)は、社会心理学の立場から、国家間関係の「信頼」の問題を、個人間関係の「信頼」の問題のアナロジーとしてどこまで捉えられるだろうか、といった観点から疑問を提出した。夏期休暇中ではあったが、若手研究者を中心に20名近い参加者を得て、活発に議論が交わされた。

 社会科学における学際的交流の可能性の探求も、本分科会にとって重要な課題であることがあらためて確認された研究会であった。                 

(石田淳:東京大学)

《東京地区大学院生研究会の活動報告》

 日本国際政治学会東京地区院生研究会・責任者の野崎孝弘(早稲田大学大学院)です。この場をお借りしまして、2002年度東京地区院生研究会の活動報告をさせていただきます。

 7月13日に早稲田大学西早稲田キャンパスにて、院生研究会を開催いたしました。共通テーマを「安全保障」とし、レ・クィン・フォン会員(東京外国語大学大学院)と福田州平会員(中部大学大学院)に報告をお願いしました。討論者には藤原帰一会員(東京大学法学部教授)をお招きし、熱く語っていただきました。出席者は29人、3時間に及ぶ研究会でした。

 初めに、「ベトナムのASEAN加盟 ---ベトナムの外交政策における'ドイモイ'」 と題し、フォン会員が報告を行いました。対外政策決定論に基づいてベトナム共産党の対外情勢認識を考察し、東南アジアに対する外交政策と実際の外交行動を分析することによって、ベトナムがASEAN加盟に踏みきった理由を明らかにし、その是非を問う内容でした。藤原会員は、ベトナムが対外政策を変更するにいたった背景を探る有益な報告だったと高く評価しながら、(1)中越戦争での敗北を機に近代化政策を推進した中華人民共和国の政策転換を、今後の研究において考慮に入れる可能性はあるのか、(2)そもそも、ベトナムのASEAN加盟にはどれくらいの意味があるのか、といった論点を軸に、フォン会員と討論を進めました。

 次に、「グローバル・テロリズム ---その史的文脈をたどって」と題し、福田会員が報告を行いました。かつてロバート・コックスが編集した論文集の中で武者小路公秀会員が提起した「神封じ(occultation)」という概念に示唆を受けながら、「テロリズム」という言葉が用いられてきた歴史的な文脈を考察し、その用語が担う隠蔽の役割に敏感になることの必要性を訴える内容でした。藤原会員は、(1)テロが起きると、「『テロ』と呼ぶのは間違いだ。彼らにはちゃんとした理由がある」との見解を耳にする。こうした見解は結果において、ある種の暴力を容認することにならないか、(2)軍事行動の対象として、そもそもテロ行為にはどのような特徴があるのか、といった論点を軸に、福田会員と討論を進めました。

 両報告後、フロアの方々をも巻き込んで真摯な議論が交わされました。長時間にわたる研究会ではございましたが、藤原会員に対する質問も飛び出すなど、有意義なひとときを過ごすことができました。ご参加いただいた皆様、とりわけ、猛暑のなか大役を務めていただいた報告者と討論者の方々に、厚く御礼申し上げます。 今後とも院生研究会は、さまざまなアプローチに門戸を開きながら、大学院生の交流と議論の場でありつづけようと考えております。ご活用いただけますよう、心からお願い申し上げます。

(野崎孝弘:東京地区大学院生研究会責任者)

《2002-2004年期 各種委員会名簿 (2003年1月現在)》

運営委員会

下斗米伸夫(主、法政大学)、大芝亮(副、一橋大学)、天児慧(早稲田大学)、藤原帰一(東京大学)、山影進(東京大学)、古城佳子(東京大学)、羽場久み子(法政大学)、波多野澄雄(筑波大学)、菅英輝(九州大学)、田中明彦(東京大学)、猪口孝(東京大学)、国分良成(慶応大学)、毛里和子(早稲田大学)、山本吉宣(東京大学)、李鍾元(立教大学)、木村正俊(副事務局長・法政大学)、高松基之(研究分科会代表幹事・東洋英和女学院大学)、中村逸郎(2003年度大会実行委員長・筑波大学)

企画研究委員会

天児慧(主、早稲田大学)、藤原帰一(副、東京大学)、月村太郎(神戸大学)、村田晃嗣(同志社大学)、岩間陽子(政策研究大学院大学)、庄司真理子(敬愛大学)、高松基之(東洋英和女学院大学:ブロックA)、岩田賢司(広島大学:ブロックB)、土山實男(青山学院大学:ブロックC)、則武輝幸(帝京大学:ブロックD)、中村逸郎(筑波大学:大会実行委員長)

編集委員会

山影進(主、東京大学)、古城佳子(副、東京大学)

英文ジャーナル編集委員会

田中明彦(主、東京大学)、猪口孝(編集長、東京大学)

ニューズレター委員会

波多野澄雄(主、筑波大学)、委員補助 : 高橋和宏(筑波大学、院生)、樋口敏広(筑波大学、院生)

対外交流委員会

猪口孝(主、東京大学)、下斗米伸夫(法政大学)、大芝亮(一橋大学)、羽場久み子(法政大学)

国際学術交流基金委員会

菅英輝(主、九州大学)、定形衛(名古屋大学)、土佐弘之(東北大学)

会計部

羽場久子(主、法政大学)、鈴木祐司(法政大学)、中里淳子

事務局

李鍾元(主、立教大学)、木村正俊(副、法政大学)、高松佳代子(一橋大学事務局)

2003年度大会実行委員会

中村逸郎(主・筑波大学)、鈴木一人(副・筑波大学)

《公 募》

《ユーラシア紛争調査プロジェクト第5回「秋野豊賞」募集要項》

※ すでに今回募集は終了しておりますが、参考までに掲載いたします。

対象:欧州からアジアまでユーラシア大陸の紛争および安全保障の問題について、海外での調査を踏まえて研究活動を行う熱意を持った人

応募資格:大学院生およびオーバードクター  若干名 (第4回実績3名)

助成金額:1名につき50万円(旅費およびそれに伴う調査費・研究費など)

採用後の義務

 ・採用された場合は、2003年7月前後に開かれる東京での授賞式に出席していただきます(ただし交通費は支給されません)。

 ・提出済みの調査・研究プロジェクト計画書に基づき年内に調査・研究を完了させ、その後4ヶ月以内に調査報告書を作成していただきます。提出された調査報告書は年報『ユーラシアの平和と紛争』(秋野豊ユーラシア基金刊)に掲載されます。

特典:秋野豊ユーラシア基金出版助成への応募資格が得られます。

応募書類

 履歴書(市販のもので結構です)

 調査・研究プロジェクト計画書

 A4版の用紙にワープロにて以下の項目に従って調査・研究プロジェクト計画書を日本語で作成し、3部提出して下さい。その際、分量は4000字以内とし、冒頭にはタイトル(表題)を付して下さい。なお審査の都合上、氏名は記載しないでください。

 ・どのような紛争・安全保障の問題に関心を持っているか

 ・具体的に何をやりたいのか

 ・どこでどのような調査研究を行うのか

 ・どのような効果・成果が期待できるのか

 これまでの活動実績・業績などがあれば、3点以内を添付して下さい。

締め切り:2003年5月9日(金)必着(採用決定日6月上旬予定)

応募先:〒151-0061 東京都渋谷区初台1-51-1  初台センタービル803
    秋野豊ユーラシア基金事務局宛

問い合わせ先:秋野豊ユーラシア基金事務局・広瀬佳一会員宛

E-mail: info@akinoyutaka.org ファックス: 03-5371-4186

 なお、これまでの受賞者の研究概要や活動状況については、秋野豊ユーラシア基金のホームページまたはメールマガジン「ユーラシア・ウォッチ」をご覧下さい。 http://www.akinoyutaka.org

《各種委員会便り》

《2003年度第1回国際学術交流基金助成について》

 2003年度の助成を以下の通り公募いたします。

【申請資格】 40歳前後までの正会員(選考に際しては若手を優先します。また申請年度を含め、継続して2年以上会費が納入されていることが必要です)。なお、既に助成を受けた会員、40歳以上の会員の申請を妨げませんが優先度は低くなります。

【助成対象】原則として申請期限後1年以内(第1回は04年5月まで)に海外で実施予定の学会等において行う研究発表(司会、討論者などは対象となりません)。なお、海外在住会員が他地域(日本を除く)で行う研究発表の申請も認めます。

【申請方法】

・下記の事務局宛に、80円切手を貼付した返信用封筒を同封のうえ申請用紙の送付を申し出る。

・申請用紙に必要事項を記入し、他の必要書類(プログラム写し、旅費の見積り等:詳細は申請者に通知)を添付して期日までに郵送。

【申請期限・申請先】

第1回:2003年5月末日 (終了いたしました)

第2回:2003年11月末日

申請先:186-8601国立市中2-1 一橋大学磯野研究館 日本国際政治学会一橋大学事務局宛

【決定通知と助成金額】 申請締切から2ヶ月以内に採否を通知する予定です。1件の助成額は当該年度の予算、申請額、採用者の数などに拠りますが、概ね欧米が8〜12万円、アジアが4〜6万円程度です。なおご質問等は一橋事務局にお願いいたします。

(国際学術交流基金委員会・菅英輝)

《2003年度研究大会分科会企画について》 

 2003年度研究大会は、10月17日(金)から19日(日)の間、茨城県つくば市のエポカル・つくば(国際会議場)と周辺施設において開催されます。共通論題、部会につきましては会員の皆様の提案に基づき、企画研究委員会および運営委員会におきまして議論され、ほぼ固まりつつあります。

 分科会は、それぞれの自主的運営に任されておりますが、2003年度の研究大会時の分科会企画については、5月10日までに各分科会責任者宛に直接、お申し込みください(本号の15-16頁参照)。

 なお、非会員の方が報告を希望される場合は、併せて会員となる手続きをお願いいたします。

(分科会代表幹事・高松基之)

《編集後記》

 佐々木雄太会員(名古屋大学)を引継ぎ、2002−2004期のニューズレターの刊行をお引き受けすることになりました。ニューズレターもまもなく100号を数えます。第一号の刊行は創立20周年の翌1977年です。当時の細谷千博理事長の「発刊の辞」によれば、そのねらいは、会員相互のコミュニケーションの場の提供、内外の研究成果の紹介による国際政治研究への知的刺激、の2点であり、とりわけ後者が強調されているのが印象的です。

 初期のニューズレターには様々な工夫の跡がみえます。「新著余滴」、「海外留学記」、「資料館めぐり」といった興味深い企画が少ない紙面のなかにひしめき合っています。これらは比較的長続きした企画ですが、短期連載で終わってしまった企画もあります。例えば、「ある日の運営委員会」という企画は、運営委員会の議論が会話形式で紹介するという興味深いものですが、なぜか一回で終わっています。また、「私の講義」という意欲的な企画も一回で終わっています。恐らく、後続がなかったからでしょう。

 いずれにしても、初期のユニークな企画も徐々に少なくなり、一方的な事務連絡の記事で埋め尽くされるようになってきます。会員数も急増して連絡業務も多岐にわたってきたことが解ります。限られた紙面で、会員の相互交流や学術情報の交換の場とすることは困難となってきましたが、100号を一つの区切りとして、新たな紙面づくりや媒介としての意義を考え直すのも良いかと考えています。皆様のご意見をお待ちしております。

 なお、新しい委員会は波多野のほか、高橋和宏会員(院生、筑波大学)と樋口敏広会員(同左)が、委員補助として、実質的な編集にあたります。何卒、よろしくお願いいたします。

(主任・波多野澄雄)

--------------------------------------------------------------

「日本国際政治学会ニューズレター No.98」

(2003年2月20日発行)

発行人 下斗米伸夫
編集人 波多野澄雄
〒305-8572 つくば市天王台1-1-1
筑波大学国際政治経済学研究科
TEL 0298-53-6795 FAX 53-7440
E-mail: hatano@social.tsukuba.ac.jp
--------------------------------------------------------------