JAIR Newsletter

No.101 February 2004  日本国際政治学会

「象牙の塔」に復活を望む

酒井 啓子(日本貿易振興会アジア経済研究所)

学部時代に国際関係論を専攻していた私がなぜ中東に傾斜していったかを思い出すと、どうもベドウィンと呼ばれる中東の遊牧部族に関心をもったからのような記憶がある。

国際政治の授業で、確か紛争回避のさまざまなパターンについてのモデルの説明だったと思うが、そのパターンのひとつとして「逃避」が挙げられていた。原生生物だったかの行動を例にとった、いわば動物行動学的な形で説明されていたのだが、要は強い他者が出現したときはとりあえず逃げる、というものであった。国境が確定されている国民国家は逃げることができないが、国境に実態のない遊牧部族同士の紛争は、その場から退避することで直接の紛争を避ける。原生生物が例として取り上げられていただけあって、いかにも「前近代的」とか「国民国家以前」とか、はたまた「破綻国家」的な逸脱性、「後進」性を前提にした、進化論的な議論になりかねないところだが、二十歳そこそこの学部生には、国境を越えて自由に移動できるなんていうのは何かロマンだなあ、などと単純に映っていたに違いない。「前近代性」などというイメージの一方で、当時流行の「逃走論」「ポスト・モダン」といった、「超近代性」なぞを喚起するところもあって、いずれにしても国民国家という近代国家の本流とは(前であれポストであれ)外れたところに位置づけられがちな中東世界は、国際政治のダイナミクスの幅を広げてくれる興味深い研究対象であった。

そう考えると、イラク戦争というアメリカの最先端の現代戦に対抗してフセインが戦った戦争もまた、「逃げ隠れする」という(前であれポストであれ)本流からずらした戦いであったように見えてくる。守るべきは土地でも資産でもなく、ましてや大義や国家理念でもなく、個々人の生命の維持のために逃げ隠れする。そして最後に命を守るものは、武器ではなく敵との「交渉」術だと考える。総大将たるサダム・フセインが「交渉しよう」と言って(本当にそう言ったのかどうかは疑問だが)隠れ家から投降同然に出てきたばかりでなく、多くのイラク軍司令官は米軍を前に武器を捨てて投降した。国防相に至っては、出身の部族に「(党や政府としてではなく)部族として尊敬を集める人物だから」と言わせて、米軍から強引に恩赦を獲得して指名手配を逃れた。兵士は皆、戦わぬまま軍服を脱いで新体制に備え、いかに新しいシステムに適応できるか、「退避」して待った。

戦争で雲散霧消したイラク軍兵士たちは、強大な敵の出現にとりあえず退避して、敵との共存が可能かどうかを見極めようとしたが、戦後の統治政策の過程で敵=米軍は、退避した兵士たちが戻ってくるのを拒否し、戦後の新体制から排除した。だからこそ、イラク兵は改めて対米ゲリラ戦を始めたのである。そこには、「敗北した国軍」の一員としての意識はない。

こうした不均衡な戦争は、先進近代国家と(前であれポストであれ)「近代」的ならざるものとの戦いと見なされて、近代(西欧)政治学の範疇では了解不能/分析不要と見捨てられているような印象を受けるのだが(あるいは近代国家の逸脱国家に対する征伐と認識されているのか)、それ以上に私が頭を悩ませていることは、研究対象たる中東がかくも「逸脱」した世界なだけに、それを研究する研究者も「逸脱」したような輩でも仕方がない、と世間が考えているのではないか、という危惧である。自戒を込めて申し上げるが、真っ当なアカデミズムの本流にて研鑽を積んできたとは言い難い、オンザジョブ・トレーニングなどという言葉でごまかされて育成されてきた一介の「研究員」(あるいは調査屋ともいうべきか)ばかりが、もっともらしく情勢解説をしているというのは、少々薄ら寒いものがないか。ワイドショー紛いのテレビに頻出し、荒っぽい聞きかじりの議論(や道具)を振り回し、政界にもっともらしく提言をし、お呼びがかかれば蘊蓄ゲイシャとして耳障りの良い講釈を垂れる(全てワタシのことだ)。「逸脱」した地域の研究者であれば本人が研究者として「逸脱」していても普通であろう、として社会的に認知されているとすれば、それはたいへん困ったことである。しかもそれが学会ニューズレターの巻頭言を飾るなんて!

だとすれば、「学会」というアカデミズムの本流は何をしているのだろう。妙な議論が跋扈する前に、本流のなかから「中東専門家」と世間に呼ばれる一群の議論の雑さを一刀両断する勇者は出現しないものか。一刀両断された上でそれに耐え得た議論こそが、「逸脱」ではなく真に国際政治学の普遍性の幅を広げるものとして生き延びていくのではないかと、期待しているのだが。

特集:2003年度研究大会

2003年度研究大会の報告

2003年度研究大会は10月17日から3日間、茨城県つくば市の研究交流センターと国際会議場で開催されました。今回は変則的に1日目と2日目以降の会場が異なったうえに、初日は会場設定の制約で部会と分科会の数が例年よりも少なくなってしまい、参加者の皆様にはご不便をおかけしました。

大会参加者の総数は630人、その内訳は事前登録者415人、当日登録者215人でした。1日目の登録者は239人、2日目は336人、3日目は55人でした。参加者総数は、前年度よりも1割ほど増加しました。大会開催にあたって助言と協力をいただきました運営委員会の先生方、報告者、討論者、司会の方々に心からお礼を申し上げます。

大会実行委員会は二つの会場で準備をしましたので、実質的には同時に二つの大会を手がける綱渡りのような作業になりましたが、30人ほどの院生・学生の協力をえて乗り切ることができました。

(大会実行委員長・中村逸郎:一橋大学)

《共通論題》

なぜいま、「帝国」か?
−パネル・ディスカッション−

今書店では、様々な立場からの「帝国」論が並んでいる。今日、帝国について再検討を迫られているからだ。本学会の2003年大会の共通論題が「なぜいま、『帝国』か?」とされたのも偶然ではない。パネルディスカッションで提起される論点としては予め2つのポイントが予想された。一つは、「帝国」に対する従来の一般的観点を再検討しようという論だ。帝国主義、植民地収奪など、もっぱら否定的に見られた帝国だが、多民族地域の安定や遅れた地域の社会発展などに果たした役割など、別の面にも目を向け先入観を捨てて帝国を見ようという論である。もう一つは、帝国に対する基本的な観点は変わらないが、それを現在の米国の単独行動主義やネオコンの論理などと関連させ、新しい国際状況において現代的な帝国を批判的に検討しようという論である。

報告者、討論者5人のパネラーからは、後者の論の方が数としては多かったが、予想通りこの2つの観点が出た。司会者として最も困難を感じたのは、平行線で言いっ放しになりかねない2つの観点を、如何にうまく噛み合わせてパネルディスカッションに纏めるかということだった。本来であれば、「帝国」の概念そのものの議論を行った上で、個別問題に入らないと議論は噛み合わないのだが、とてもその時間はない。したがって、司会者が意識的に発言者の論点を対立させるように、ある側面を浮き彫りにしてレジメをしたりする工夫が必要だった。幸いなことに、フロアーからの発言も含めて議論は活発だったので、何とか討論の形になったかな、という感想を抱いている。

欲を言えば、帝国論に結び付けて、今日の国際政治学そのものを問い直す議論が欲しかった。というのは、帝国論はグローバルな「秩序」の問題でもあるのだが、じつは今日の政治学そのものが、既に市民社会的な秩序の確立している先進国の学問である、ということを自覚する必要があると考えるからだ。換言すれば、政治学の基礎にかかわる問題が、今日、帝国論と共に問い直されていると考えるからである。すなわち、先進国に広く見られるように、秩序の存在を所与のものと考え、混乱や無秩序を例外と考えるか、あるいは逆に歴史上の大部分の国や地域におけるように、無秩序をむしろ自然状態と見なし秩序は辛うじて人為的に保たれていると考えるか、という問題である。リベラリズムとリアリズムの対立にも関わるこの問題を、帝国論と合わせてじっくり考えたいと思う。

(袴田茂樹:青山学院大学)

《部会概要》

部会1 ヨーロッパ統合史の再検討

1940−60年代のヨーロッパ統合史解釈は、急速に多様化し、揺らいでいる。モネ=シューマンを基点とする正統史観はもはや支持しえず、EUの現状の説明にも馴染まない。

そこで、日本におけるヨーロッパ統合史研究者を集め、統合史の脱構築を試みた。その際の着眼点として、ECSC・EECなどの欧州制度枠の発展史に集約される狭義のヨーロッパ統合に出発点を求めるのではなく、広義の戦後秩序(東西冷戦、大西洋共同体、NATOなどの安全保障枠組みや欧州審議会Council of Europeに代表される人権社会共同体)との関連で戦後ヨーロッパ政治体制の再検討を行なうこととした。

ただし、この視点は、冷戦との関連を重視しながらも、米国の外交戦略にのみ依拠するものではない。本部会では、米国を中心とする安全保障と西欧における経済統合、あるいは人権共同体との間の融合と緊張を基盤とする戦後政治の大枠(ここではひとまず「EU-NATO-CE体制」と括っておく)との関連で、西ヨーロッパの諸アクターの戦略や関与を洗いなおすことに主眼をおいた。

まず第1報告「フランスの欧州統合政策と近代化・冷戦・植民地−1947年〜1954年−」において、上原良子会員(フェリス女学院大)は、フランス(とりわけ軍部)における安全保障上の議論およびコスト計算を分析し、いかに狭義の制度改変議論を超えた論理が欧州統合のプロセスに跳ね返ってきているかを跡づけた。時間の不足で未紹介に終わったが、フランスにおける社会観がもった初期欧州統合への影響についても、ペーパーでは触れている。

ついで、第2報告「欧州統合とイギリス―1950年代前半の外交戦略との関連で―」において、細谷雄一会員(敬愛大)は、欧州統合のプロセスにおいて、大西洋共同体の主要国である英国、とりわけ外相イーデンの安全保障上の戦略が果たした役割について検討した。もとより、原加盟国のみが奏でたものとして初期統合プロセスを見ることは出来ないが、同会員は一歩踏み込み、英国(イーデン)が統合推進に助力以上の役割を果たしたことを論じた。

第3報告「1960年代初頭における米欧関係の中の欧州統合−大西洋共同体・欧州統合・独仏枢軸−」をつうじて、川嶋周一会員(日本学術振興会特別研究員)は、対米関係のあり方(大西洋共同体の理念と実践)が、(1)EECにおける政策資源獲得(とくに農業分野における)にどう影響したのか、(2)欧州統合の中枢に位置する独仏のあいだを、エリゼ条約の成立時にいかにパラドキシカルにも結びつけ、同時に裂いていったのか、明らかにした。

コメンテータの鈴木一人会員(筑波大)からは、これらの報告に対する丁寧なコメントとともに、セッション全体の現代的な含意について問題提起があり、フロアからの多くの質問・コメントとあわせて、活発な議論が交わされた。出席者約80名。

(遠藤乾:北海道大学)

部会2 国際関係理論による日本および北東アジアの諸問題の分析

本部会は、日本および北東アジアの諸問題に関する国際関係論の理論枠組を適用した社会科学的な分析の妥当性、および、分析のあり方を検討することを目的とし、「理論と検証」を副題として行った。

そして、国際関係論の理論枠組の適用可能性を幅広く検討するため、「理論と検証」という観点を共通軸としたうえで、安全保障、国際政治経済の三つの主題について、それぞれ実際の問題を分析した研究について報告と討論が行われた。

岡本論文(「理論は日本の金融危機対応をどう説明するのか」)は、1990年代の日本の金融危機における政策対応に関して、国際関係論の主流的な考え方である「合理的選択」アプローチの一つとしてのゲームの理論の適用、具体的には情報の非対称性による分析結果を、日本研究などの他の研究アプローチの結果との比較し、また、この概念を米国のS&Lおよびスウェーデンの金融危機にも適用した研究であり、情報の非対称性を使った分析の一般性と、分析手法としての有用性を検討した報告である。

泉川論文(「同盟の諸理論と北東アジアの国際関係―同盟分断戦略における政策選択の研究」)は、安全保障問題の重要な課題の一つである同盟問題に関して、圧力外交による同盟関係の分断行為についての分析であり、通常は、同盟分断が個人のレベルで説明されているのに対し、国家間レベルで説明可能であることを示し、さらに、圧力外交が使われる場合について、東アジアで起きた複数の実際の事例に報告者が構築した概念を適用した検証を通じて一般化が試みられ、政策手段と国際的な脅威の水準との関係が重要であることが確認されている。

宮下論文(「構成主義と日本の安全保障政策」)は、「合理的選択」アプローチとは別のアプローチとして注目されている構成主義による日本の平和主義、すなわち日本が経済大国になったにも拘らず軍事大国にならなかったという状況について、バーガーおよびカッツェンスタインによる分析を検討し、構成主義を批判的に検討した研究である。そして、国際環境が安定した1970年代の方が、相対的に不安定だった1950年代より平和主義の傾向が強いことなど、戦後の日本の平和主義が、国際システムの状況と相関関係にあることを指摘し、日本の平和主義について構成主義ではうまく説明できないこと、物理的な要因が重要であることを指摘している。

これらの報告に関して、「理論と検証」という観点から小野、そして「北東アジアの国際関係」という観点から国分会員によるそれぞれの報告に関する討論に加え、北東アジアの諸問題を理解するうえでの国際関係論による分析の一般的な意義について討論、および、一般参加者との質疑応答が行われた。

討論では、東アジア地域全体で見ると、社会科学的な分析を指向する研究は確実に増えており、また、情報の蓄積も増えて来ていること、また、政策面からも国際関係論を適用した分析は重要であること、したがって、社会科学的な分析の積み重ねをすることは北東アジアの国際問題を理解するうえで有用であるとことなどが指摘された。

(小野直樹:武蔵工業大学)

部会3 冷戦とは何だったのか

この部会では遠藤誠治会員(成蹊大学)の「冷戦の国際政治構造−米国の覇権・多国間主義・自由主義国際秩序」、朱建栄会員(東洋学園大学)の「東アジアにとっての1965年−『主役』の転換とそれによってもたらされた冷戦構図の変動」、石井修会員(明治学院大学)の「米国の覇権と『冷戦』秩序」と題する三人の報告が行われ、冷戦の構造と機能についてそれぞれの分析方法を用いて切り込んだユニークなものであった。

国際関係の構造が激変するとき、その前と後との間には常に連続性と非連続性の要素がダイナミックに交錯するのが、歴史の教える一般的な法則である。遠藤会員が、冷戦の国際政治構造を解析するにあたって米ソを軸に分極化していく過程を、パワーの追求という国家行動の古典性と自由主義と共産主義の対立という「理念の契機」の二面性から抉り出したのも、このような連続性と非連続性に着目したからにほかならない。石井会員は冷戦期の米国を「覇権国」と捉え、ソ連を米国より力の劣る「挑戦国」と捉えることにより、冷戦構造を2極構造と呼ぶよりもむしろ1.5極構造と規定すべきだ、という。極構造の認識に関する通説を乗り越えようとする報告の趣旨は、今後の冷戦研究に一石を投じるものと言ってよい。朱会員は1964年10月の中国による核実験の成功を転機にして、ベトナム戦争に象徴される東アジアでの冷戦の主役は米中から米ソ両国に移行した、と論じた。中ソ対立の先鋭化に伴う東アジアにおける権力政治の力学変化を見るうえで、朱報告も興味深い論点を提起し、これも今後のアジアにおける冷戦研究に一石を投じる報告であった。三会員による報告に対して油井大三郎会員(東京大学)からコメントを含む問題提起が行われ、これに対して三報告者からそれぞれの視座から応答がなされた。フロアーからも質問が出され、活発な論戦が交わされた。すでに冷戦研究に関する部会が過去の大会でも設定され、いわばシリーズ企画となった感がする。冷戦史研究の第一人者を揃えた今回の企画は、次の世代の冷戦史研究者に間違いなく知的刺激を与えたといっていい。

(山本武彦:早稲田大学)

部会4 歴史としての日中戦争 1937-1941

本部会は日中戦争のいわば「原型期」にあたる「支那事変」期を中心に、戦争の歴史的・客観的評価を試みようとしたものであるが、3報告の視点はそれぞれ異なるものの、そうした問題意識が定着しつつあることを伺わせた。まず松浦正孝会員(北海道大学)「満州事変から『大東亜戦争』へ−汎アジア主義の政治経済史−」は、最近の東アジア経済圏をめぐる経済史的研究の発展を踏まえ、「汎アジア主義」イデオロギーの普及を担った大亜細亜協会の人的・政策的ネットワークに着目し、とくに亡命インド人、台湾籍民や華僑が東アジア通商圏を形成して東南アジアから英資本の駆逐による通商経済・政治圏への再編をめざしていたことを指摘した。大亜細亜協会は日中戦争が反英戦争(南進)へと向かうイデオロギー形成に寄与し、「大東亜戦争」を招来した要因となったとする点で、「日英戦争としての太平洋戦争」という視角に連なるものである。

笠原十九司会員(都留文科大学)の報告「日中戦争と海軍―海軍航空隊の作戦と役割を中心に―」は、従来見落とされていた、緒戦における海軍航空による戦略爆撃の意義を論じ、南京攻略の前提としての海軍航空作戦が戦争の全面化を招いたこと、南京渡洋爆撃、華中・華南への無差別爆撃は世界航空戦史上のさきがけとなる戦略爆撃であったこと、海軍にとっては航空戦の意義を説いて軍備充実の説得材料となるとともに、米海軍との将来戦を想定した航空攻撃の実践という意味をもったこと等を論じた。

江田憲治氏(日本大学)の報告「中国の視点から―蒋介石の対日戦争観を中心に―」は、日中戦争は日本の侵略にその原因があることは否定できないとしても、国民政府(蒋介石)がなぜあの時点で戦端を開いたのか、なぜ全面抗戦に踏み切ったのか、という設問は意義があるとして、中国側の文献資料に依拠しつつ蒋介石の抗戦構想を主に議論した。その際、蒋に勝算があったとすれば、国内では国民政府の国防計画や対日作戦要領、国外にあってはソ連の支援如何や国共合作の協議の進展度などの諸条件が重要であり、これらの諸条件と陣地戦を想定する蒋介石自身の戦争観との連関を説得的に議論した。

討論者の戸部良一会員(防衛大学校)は、松浦報告に、思想やイデオオロギーのうねりとしては説得力があるものの、イデオロギー・レベルの問題と政策選択の問題としての対英戦争や対米戦争とはやはり区別する必要があること、扱われている人物の影響力には限界があったのではないか、などを指摘した。また笠原報告には、戦略爆撃の効果という点からすれは本来の目的に合致していなかたのではないか、海軍に戦略爆撃という発想が存在したのか、といった問題提起がなされた。

もう一人の討論者・山田辰雄会員(放送大学)は、日英戦争としての日中戦争という場合、日米戦争にどう位置づけるか、抗日戦における海軍戦略の位置づけ、江田報告には安内攘外の蒋介石が抗日に踏み切った理由、国民党の全体的な抗日戦略にどう位置づけるか、といった問題を提起された。フロアからは3報告に対して多くの問題提起や質問が寄せられ議論は尽きず、3時間半にも及ぶセッションとなった。

(波多野澄雄:筑波大学)

部会6 日本における国際政治学の成立(ラウンドテーブル)

わが学会は、2006年、創立50周年を迎える。本部会は、その記念の一旦である。

まず川田名誉理事からご自身の学問研究の核心は、権力政治の基底にある経済的な契機の分析であるとされつつ、50年代のアメリカ滞在のなかで交流されたF. シューマン、E.H.カー、H.モーゲンソ―という3人の現実主義者をとりあげ、その学問内容だけではなく、人柄にも言及された。これら現実主義者とは違和感を持つことはなかったが、もし違和感があったとすれば、それは日本が被爆国であり、核兵器の社会的影響をどこまで考えるか、ということであった。また、ご自身が米国から帰国後にあらわされた『国際関係概論』をはじめとする国際関係の研究を述べられた後、ご自身の実地調査の経験を紹介されつつ、国際関係研究においては、アジアや開発途上国を研究する地域研究が大切であることをつよく指摘された。

細谷名誉理事は、戦後、資料が開放され、言論の自由が確立し、外交史研究は大いに発展するが、当時の外交史研究者の大きな問題意識の一つは、太平洋戦争の評価に関してであったと述べられる。学会としても太平洋戦争を実証的に研究することを目指し、その成果が、『太平洋戦争への道』となった。50年代から60年代にかけて、スナイダーたちの政策決定論など非伝統的な手法が外交史研究に応用された。70年代には、各国の外交資料が公開され、日本においては対日占領政策の研究が大いに進んだ。80年代以降になると、冷戦後マルチ・アーカイバルな研究が拡大し、社会・文化的な要因を重視する研究が見られるようになった。とはいえ、太平洋戦争への関心は引き続き高く、その評価は現在でも日本の外交を拘束していると論ぜられた。

二宮会員は、日本の国際政治学の制度的な成立は、欧米と同じく第1次世界大戦後であるとしつつも、明治期にもさかのぼって論ぜられた。日本の国際政治学(国際関係論)は、いわば「海」のようなものであり、そこにはいくつかの「川」から水が流れ込んでいる。それは、外交史、国際法、政治学、経済学、歴史学などである。国際政治学は、第1次世界大戦後、理想主義的な、国際連盟(=国際組織)の研究として始まった。それは、当時活躍した神川、蝋山、信夫などほとんどすべてに言えるものであった。しかし、日本が満州事変を起こし、連盟を脱退すると、少数の例外を除いて、アジアにおいて「小国際連盟」をつくり日本がそれを指導するという論を展開した。戦後そのような議論は崩壊するのであるが、このようなかから戦後の日本の国際政治学が出発するのである。

3人の報告の後、太平洋戦争の評価、日本における国際政治思想、哲学のあり方、先進国中心ではない国際政治学の可能性などをめぐって、活発な議論が行われた。

(山本吉宣:東京大学)

部会9 国連の意義

21世紀の国連の意義を考察することは、長期的な展望に基づく多国間主義の役割と課題を、広く平和、安全保障、開発と環境といった分野で、国連の占める地位を検証することでもある。 しかし、この部会では平和と安全保障に焦点を絞り、3人の会員による次の報告がなされ、約50名の参加者があった。

  1. 大泉敬子(東京情報大学)「『人間の安全保障』の視点から考える国連の平和活動―東チモールを事例として」
  2. 則武輝幸(帝京大学)「国連平和活動を通じた破綻国家の再建」
  3. 星野俊也(大阪大学)「『国際平和回復政策』の展開と日本」

討論者として、横田洋三(中央大学)、司会者として、内田孟男(中央大学)が務めた。

大泉会員は、1975年以来の東チモールと国連との関わりを歴史的に概括し、国連の平和維持活動の変遷を踏まえ、国連がこの国を丸抱えで建設するための包括的平和維持活動を展開した、ユニークなケースであるとする。東チモールの人々の自立を支援する点を国連の最大の任務とみて、「人間の安全保障」の観点から、UNTAETとUNMISETの評価を試みた。 東チモール人の主体的参加を、政治、個人と地域社会、そして経済、食料、健康、環境といった分野で検討すると、必ずしも人間の安全保障が維持されなかったと結論する。同時に、報告者は評価が特定の基準方法によってなされる危険性にも注意を喚起し、「人間の安全保障」が新たな介入主義を正当化しないこと、国連の関与の仕方が平和維持から平和構築へと変化するなかで、自立化を如何に支援するか、どの位の期間にわたって展開するのか、そして東チモールとインドネシアとの関係を如何に構築していくか、といった、理論的、制度的そして外交的諸問題の枠組みの中で、しかも人間を中心とした国連の役割の重要性を強調した。

則武会員の報告は、シエラレオネの事例を中心に破綻国家の再建に、国連が何をしてきたのか、そしてその一定の成功の要因は何処にあるのかを検討している。国連そして国際社会は何故、破綻国家を再建しなくてはならないか、との疑問に人道、紛争と犯罪防止の観点から答えている。そしてシエラレオネの紛争の経緯を総括した上で、DDRプロセスをより詳細に分析し、UNDPもこのプロセスに参画している点を指摘している。成功の要因としては、国土面積が狭く、人口も少ないこと、紛争当事者の数も少なく、紛争はダイヤモンドの利権争いであったこと、反政府勢力に対する一貫した国際的圧力があったこと、内戦中の人権侵害に対するある程度の恩赦、ECOWAS諸国の意思の一致が挙げられるとする。今後の課題として、(1)必要な資金の迅速な確保、(2)元戦闘員に正確な情報を伝えるための広報活動、(3)動員解除プロセスと再統合プロセスの継続性を確保すること、等を示唆した。

星野会員は、「国際平和回復政策」を多様なアクターが共同して実施する平和を復旧する活動で、そのような活動を確保するための公共政策と定義する。国際の平和のためには予防外交、平和創造、平和維持そして平和構築の連続的な努力が必要であり、そのためには3つの分野での統合が必要となるとする。すなわち、(1)主体横断的な統合、(2)軍事的手段と非軍事的手段の統合、(3)国内と国際の分断線を乗り越えた統合である。この政策は国際関係論においても、異なった優先順位を与えられ、合理主義・功利主義的アプローチを取るリアリズムとリベラリスム制度論では、「権力」が、規範の正統性を問題とするコンストラクティビズムでは、「権威」がそれぞれの重点を持つという。 しかし、「平和回復政策」は、権力と権威とが結びついて始めて効果的な結果をもたらすとする。

討論者の横田会員は、3つの報告が共有する「平和への課題」に示された紛争の連続した局面と、国連憲章が予定しなかった新たな紛争と、その背景について敷衍した。その上で、環境、テロ、伝染病に対処する地球的レジームの形成を通して国連の意義を考察すべきであると指摘する。各報告者に具体的なコメントをした後に、平和と正義との関係、人権と自決の問題、大国の役割と指導について言及し、更に新設された国連事務総長の安全保障に関するパネルと日本における国連改革の動きを紹介した。

質問と討論では、7名の発言があり、「人間の安全保障」の視点の有効性、難民の問題、国際アクターの多様性と役割分担、DDRの実効性、法整備の必要性、そして、帝国とその他の国との関係について質問と意見が出され、限られた時間ではあったが、熱心な討論が展開された。

(内田孟男:中央大学)

部会10 中曽根外交の再検討

この部会では、川上高司「中曽根政権とアメリカ」、添谷芳秀「中曽根外交とアジア」および草野厚「中曽根内閣の外交と国内の反応」の3会員の報告と、村田晃嗣会員のコメントをもとに参加者からの多くの質問を交えて活発な議論が展開された。

川上会員は、対米外交の特色および政治家としての中曽根像について、世界平和研究所研究員の立場で中曽根氏の言動を直に観察する機会に恵まれた同会員ならではのエピソードなどを交えながら述べた。不沈空母発言、防衛費GNP1%枠の撤廃、ソ連機によるKAL撃墜事件の際の危機管理などの関連でとかく右寄りという評価がなされることが多いが、レーガン米大統領との親密な関係を重視し、国益の観点から「国際国家日本」としての外交戦略を構想したのは、自信喪失の日本人を励ますことで、反米に傾斜しかねない「孤立主義的な大国化」を避ける狙いをもったもので、その外交路線は自らいうとおり「中道やや右寄り」と規定してよいと説く。また、大平首相から一部引継いだブレーンを重用し、独自の文明史観と広い教養をもった個性的リーダーシップがこの政治家の特異性を示すものだと説明した。この時期は、経済摩擦の激化を特徴としたが、経済の個別懸案はパッケージとして処理し、首脳会談では政治・安全保障の重要な課題に時間を費やすことに努めたという指摘もあった。

添谷会員の報告は戦後日本外交の中での中曽根外交の位置を探るという問題意識から「中庸にある自由民主主義路線」と特徴づける点で川上報告と合致するものがあった。たとえば首相としてアジアでの戦争を侵略戦争であったと公に表明したが、そのアジア重視は反米に傾き勝ちな国家主義のそれではなく、きわめて国際主義的な要素をもっていたと述べる。戦後政治の総決算を唱え吉田茂の敷いた外交路線を批判する中曽根の立場は、吉田路線の全面的な否定というよりは、それに内在するねじれを正し、中庸路線をより確実な基盤に乗せようとする意図からの修正の試みであったと分析する。その際、首相就任以前の佐藤内閣の防衛庁長官時代の「自主防衛論」と「非核中級国家論」に大きな意味を見ようとするのが、この報告のひとつの特徴であった。

草野報告は、上の2報告が描き出す中曽根外交の背景としての内政、とくに世論の対応に焦点をあてたものである。そうじて中曽根外交の評判は良く、内閣の支持率を押し上げる働きをした。国民の自尊心を満足させる華麗な外交のパフォーマンス、また、閣僚や党役員の人事面での自民党各派閥へ気配りが、外交を進めるうえで不可欠な挙党体制の確立に寄与したことなどがその理由としてあげられた。他方、防衛政策については世論の評判が悪く、外交と防衛の両者のギャップをどう説明すべきかが問題であるという指摘がなされた。なお政権末期には日米経済摩擦が激化し、経済政策の運営の面で種々の障害に直面し、地価の高騰への対策での失敗がバブル崩壊の引金となったことも指摘された。

討論では多くの論点があったが、国際国家日本の在り方という問題を正面から提出した中曽根外交の意味を、いま新しい条件のもとにかれた日本と世界の関係を考える上で再検討する価値があるとする点では一致した。

(渡邊昭夫:平和安全保障研究所)

部会11 コンストラクティヴィズムをどう考えるか

各報告の要旨は以下の通りである。

1.大矢根聡会員「コンストラクティヴィズムの分析射程−規範の衝突・調整:『貿易と環境』の事例研究−」

コンストラクティビズムはアクターと構造の相互作用に注目する理論である。またアイデンティティは構造によって形成され、それが共通認識になっていくプロセスである。ネオリアリズムなどネオ理論との違いは、前者が「結果の論理」に基づくのに対し、コンストラクティビズムは「適切性の論理」に基づいている点にある。コンストラクティビズムが極度に抽象的なのは、アイデンティティという要素の欠落、parsimonyの過度の重視、社会学の常識からの乖離といった、ネオリアリズムへの批判として始まった経緯と関係がある。つまり、コンストラクティビズムの意義はこれまで忘れられていた部分、殺ぎ落とされていた部分の復元作業にあり、土俵固めの役割から次第に仮説の検証なども行われるようになっていった。もともとコンストラクティビズムは新しい地平を開拓するといった意図を有したものでなく、現存の理論と相互補完的である。また、国際構造を安定的とみるニュアンスが強い従来の理論に対して、コンストラクティビズムはアクターと構造の相互作用により、徐々に構造が変化しているという認識がある。1990年代初頭にGATT・WTOで討議されたキハダマグロ事件では、国際貿易構造により影響された国家と国際環境構造の影響下にある国家が協議を行うことにより、コンセンサス形成がなされた。またself-entrapment(自縄自縛)の原理により、こうして討議された内容が、次第に内在化されつつあり、実際にはかなりのコンセンサスがすでにできている。

2.山田高敬会員「コンストラクティビズムから見た『超領域的ガバナンス』の条件−経済と環境を結合する『共通知識』の形成に向けて−」

従来は別々に扱われた問題領域の間の調整を行うことを「複合的ガバナンス」とよぶこととし、それにコンストラクティビズムがどのように活用できるかを考察した。コンストラクティビズムは間主観性を強調し、またアクターと構造の相互作用のなかから構造が変化していくプロセスを解明する。その一例として、ウェントの提唱したcollective identityの形成過程を解説した。しかしこの論理は規範の異なる集団の間では通用しないと考えられる。たとえば自由貿易を信奉するアクターと環境保護派のアクターがいたとして、後者が環境保護のために貿易を制限するような行為がとられれば、前者からは利他的どころか利己的と認識されるためである。したがって共通の規範が生まれるためには説得や討議というプロセスが重要となってくる。すでに既存の研究により小人数のグループでは説得が成功やすいとされているが、世銀により設置された世界ダム委員会(WCD)はその良い例であろう。きわめて小人数でかつ非排他的組織のマルティステークホルダープロセスであったため、討議によるコンセンサスが容易にできた。議論のまとまらないWTOのCTEとは好対照をなしている。

3.宮岡勲会員「コンストラクティビズムの認識論と方法論」

コンストラクティビズムの特色は、規範やアイデアの行為に対する影響を規制的と構成的なそれに分けて論ずる点である。たとえば、サッカーのシュートが得点となるという事象がそういった意味を持つのはサッカーのルールがあるからであり、その影響は「構成的」と解釈できる。このように規範には行為に意味付けをするという役割があり、tautologyではない。またコンストラクティビズムは、いわゆる認識論の演繹的・法則的(D―N)モデルと一線を画しているのも特色である。方法論については、これまでコンストラクティビズムの実証研究としてはケーススタディのような質的研究が多かったが、今後注目される研究方法としては言説分析、内容分析、認知地図、サーベイなどがあろう。

以上の報告に対して、討論者の飯田がそれぞれ次のようなコメントを寄せた。大矢根報告では、コンストラクティビズムはそこで使われている概念自体は新しいものではないが、それに先立つ理論、つまりネオリアリズムやネオリベラリズムが殺ぎ落としてしまった部分を復元しているという言葉が印象に残った。ただし、CTEについては、かなりのコンセンサスができているという報告だったが、これは過大評価ではないか。また、国家は減少や原則を選択的に使う傾向があり、明らかに自分に不利になる規範は使わないので、self-entrapmentの効果も過大評価ではないか。山田報告は完成度の高いものである。しかしダム委員会については、歴史を無視して考えることはできず、それ以前にも世銀などで環境アセスメントや原住民に関するガイドライン作りが進められていて、その最終段階としてダム委員会ができたのであり、この委員会で初めてコンセンサスが形成されたという印象を与えるのはよくない。宮岡報告は、規範のconstitutiveな影響についてわかりやすい説明が行われたことは共感できる。しかし実際問題としては、規範は行動から推理することが多く、きわめてトートロジーになる可能性が高い。

(飯田敬輔:青山学院大学)

《分科会概要》

分科会A-1 東アジア国際政治史1

本分科会は、三宅康之会員による報告「趙紫陽と『四川経験』―改革開放の一系譜」と、討論者に天児慧会員を迎えて行われた。参加者は約22名。

三宅報告は、2003年1月に提出された博士論文「地方から見た改革開放―中国における経済改革の政治過程」を基にしたものである。同報告では、中国の対外開放政策=改革開放政策開始を評価する場合、中国共産党第11期3中全会においての政策転換のみが強調され、その決定に至る政治過程が解明されていないこと、中央レベルにおけるトップリーダーの権力闘争にのみ焦点が当てられ、地方・基層レベルの政治経済の実態分析がなされていないことに着目した。そして、改革開放の青写真を提示した「四川経験」の全体像を把握し、その「四川経験」を指導した趙紫陽の政策を分析することによって、改革開放政策開始を準備した地方レベルの動向を評価したものである。

討論者の天児会員からは、転換期のダイナミクスを具体的にどのように捉えていくか、また、中国政治の構造を、中央―地方―末端と捉えた場合、「末端」の性格はどのようなものか、そして両者をつなぐ「地方」の権力とは何か、等の問題点が指摘された。フロアからも、四川のケースは特別例と見るか、典型例と見るか、地方幹部と基層のどちらが改革への動力となったのかなどの質問が出され、活発な討論が行われた。

本報告は、改革開放政策を原点に立ち戻って再検討し、その開始の政治的ダイナミクスを描き出そうとしたものであった。同時に、中国外交政策転換の国内政治過程を分析するという側面も持っている。-0.5zh

(滝口太郎:東京女子大学)

分科会A-2 アメリカ政治外交1

坂本正弘会員は「パックス・アメリカーナ(PA)の展望」と題して報告を行った。最初に代表的な国際システム研究者のアメリカ一極論についての見解が紹介され、それを踏まえた形で坂本氏流のパックス・アメリカーナ論が展開された。(1)戦後暫くの間、パックス・アメリカーナ第1期(PA1)と言われる時代が続いた。この第1期は米ソ二極体制、西欧同盟とドル本位、自由通商に支えられており、反共主義という大義名分もあってアメリカの正統性は強かった。(2)冷戦勝利後、特にクリントン政権が発足した頃から、国際システムは一極体制に移行し、パックス・アメリカーナの第2期(PA2)が始まった。現在の第2期は、国力、国際システムの定着、正統性の浸透において、第1期を凌ぐ勢いを見せている。(3)現ブッシュ政権のイラク攻撃や軍事占領といった単独主義行動に対して国際的な反発が起き、その結果一時アメリカの覇権の正統性が問題視されるようになったものの、依然としてアメリカの生産性は高く、パックス・アメリカーナ第2期の基礎は堅固である。(4)アメリカはいずれ国際システムを総体的に活用することによって、政策修復能力を示すであろう。(5)アメリカの一極体制は必ずしも日本にとって悪いことではなく、日本はそれを活用しながら国際協力を進めていくべきである。一方、川上高司会員からは、坂本氏のパックス・アメリカーナ論に対して次のような重要な疑問が提示された。(1)はたして現在の状況がアメリカ一極体制に基づいたパックス・アメリカーナの第2期といえるのかどうか。むしろカオス状況に近い新中世的世界となっているのではないか。(2)アメリカの正統性は本当にあるのかどうか。フロアーからも、パックス・アメリカーナの正統性問題やミサイル防衛について質問があり、活発な質疑応答が行われた。出席者は約100名。

(東洋英和女学院大学:高松基之)

分科会A-3 国連研究

国連研究分科会では、国連改革に関して二つの報告がなされた。まず、大平剛氏(北九州大学)が「UNDPによる紛争予防への取り組み−南東欧における早期警報システム構築に関して−」というテーマで報告した。報告では、1997年に開始されたUNDPによる早期警報システムの構築活動について、ブルガリア、セルビア・モンテネグロ、ルーマニア、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、コソヴォの各国での独自の活動を分析した詳細な内容が紹介された。現地でのインタヴューなども踏まえた実地に基づいた実証的かつ問題提起的報告であり、今後の国連改革にとって示唆に富む内容であった。現地に早期警報システムを構築するということは、より正確な情報の入手と分析が得られるものとの期待を抱かせる。しかしながら、南東欧の事例からは、そのような早期警報システムを構築するにあたっての課題と限界があることが示された。半沢、高橋、森山、古川各氏より、UNDPの縦の関係、UNDPとEUの関係、OSCEとの関係など具体的な質問が出され、活発に議論がなされた。

次に、横田匡紀氏(駒澤大学・神奈川大学)が、「地球環境ガバナンスと国連改革」というテーマで報告をした。報告では、UNEPの動向を中心に、地球環境問題に対応する既存の国連システムの改革をめぐる検討状況に焦点をあてた。まず環境問題に関わる国際機構改革の背景と沿革を明らかにし、UNEPでの改革の議論状況をとりあげた。特にUNEP内部組織のあり方、UNEPと他の国際機構との関係、UNEPと国際レジームとの関係、UNEPと市民社会組織との関係のあり方などを検討した。その検討結果から、地球環境ガバナンスの確立に向けた国連のあり方を考えた。また世界環境機構(WEO)の創設を提案した。環境にかかわる国際機構全般を視野に入れた研究報告であった。納谷氏からWEOのような集権化モデルが改革案として妥当かどうかの質問がなされた。

(庄司真理子:敬愛大学)

分科会B-1 欧州国際政治史・欧州研究1

鳥潟優子(甲子園大学)会員報告「ド・ゴール外交とアメリカのベトナム戦争―『仏米同盟』をめぐる一考察」は、米国の激しい反発を招いたド・ゴール大統領のベトナム「中立化」構想の背景と展開を考証した。同報告は、ド・ゴールは同盟国として戦争が西側にもたらす影響を憂慮すると同時に、「ジュネーヴ方式」(五大国による政治解決)によって対米対等化をも模索していたと論じ、ベトナムは同盟の共通利益をめぐり、両国が協調しうる外交領域だったと指摘した。討論者の松岡完会員(筑波大学)からはド・ゴール構想の実現可能性、米政権に対する説得力などについて、川嶋周一会員(日本学術振興会)からはド・ゴール外交におけるベトナム戦争の位置づけなどについて質疑がなされた。

葛谷彩(京都大学)会員報告「80年代ミサイル論争と反核平和運動―西独国際関係論における位相」は、西独の国際関係論研究者のミサイル論争と反核平和運動をめぐる言説を分析し、その背景に西独のナショナル・アイデンティティーの問題があったことを指摘した。討論者の網谷龍介会員(神戸大学)からは北米的国際関係論の西独への適用の有効性の問題と西独国際関係論におけるリアリズムの位置づけについて、森井裕一会員(東京大学)からも同様の質問と西独国際関係論の特殊事情についての指摘、川嶋周一会員(日本学術振興会)、川村陶子会員(成蹊大学)からも質問が出され、活発に議論がなされた。

(植田隆子:国際基督教大学)

分科会C-1 日本外交史1

本分科会では、気鋭の若手研究者による戦後日本のアジア外交に関係する報告が二本あり、いずれも実証的で有益な報告であった。

金斗昇会員(立教大学)は「池田政権の対外政策と日韓交渉(1960-1964)−内政外交における『政治経済一体路線』の視点から」と題し、池田政権の対韓国政策(日韓交渉)を日本の外交戦略的な視点から再検討する報告を行なった。「佐藤政権による日韓条約の締結」というこれまでの一般的な見方に対して、池田政権が韓国と請求権問題で合意(大平・金鐘泌会談)した時点で日韓交渉の最大の障害物が取り除かれていたこと、また請求権問題の合意は日本の安全保障に配慮した決断であったことが強調された。これに対して討論者の木宮正史(東京大学)より、報告で用いられた概念のより具体的な検証の必要性、池田政権の対韓政策が他の政権のそれと異なる点についての立証、日韓交渉へのアメリカ政府の関与に関する詳細な検討の必要性が指摘された。

高橋和宏会員(筑波大学大学院)は、「日本の『経済大国化』と東南アジア外交−東南アジア開発閣僚会議を中心に」と題する報告をおこない、東南アジア開発閣僚会議の開催に代表される1960年代半ばの日本の東南アジア外交の積極化が、「南北問題」への対処という側面を有していたこと、またアメリカの東南アジア政策(ベトナム戦争)と距離を置きつつ、よりプラクティカルな経済開発を目指すものであり、その背景には経済開発を優先させることがひいては域内の政治的安定にもつながるとする機能主義的な発想が秘められていたことなどを指摘した。これに対して、佐藤晋会員(筑波大学非常勤)より、経済開発優先による政治的安定という方針において、ベトナム戦争はどのように認識されていたのか、また東南アジア地域の経済開発を進めるなかで、日本自身はどのように位置付けられていたのかなどの質問・コメントがあった。

(黒沢文貴:東京女子大学)

分科会C-2 東アジア国際政治史2

本分科会は、「中国の外交官」というテーマで、高文勝(名古屋大学大学院)「王正廷外交と国民政府の対日政策」、川島真(北海道大学)「中国近代外交官論」の二報告および討論者に劉傑(早稲田大学)会員を迎えておこなわれた。参加者は29名であった。高報告は、本報告は王正廷外交に焦点をあてて、1920年代から30年代の案件である、済南事件、日中通商航海条約改正、治外法権問題、満蒙鉄道問題、租界・租借地回収問題に関する具体的な対処などの分析から、政策決定過程および交渉過程を再検討しようとするものである。そこでは、王正廷外交を漸進的な条約改正主義者として描き、対日交渉も極めて慎重であり、対日関係改善を図ろうとしていたものの、満洲事件の勃発によってそれが潰えていくとする。幣原外交と対応するものとしての王正廷外交という観点が興味深い。川島報告は、清末から民国時期を中心として戦後を見通す中国の外交官像を、「外交官論」、「外交官試験(職業外交官問題)」、「政策決定への関与」、「政策目標(中国の保全、不平等条約改正)」などといった観点について、具体的な外交官先行研究を整理しながら議論をおこなった。

討論者の劉傑会員からは、高報告に対して、史料の問題を含めて交渉過程について詳細な確認がおこなわれた。また、川島報告に対しては、報告時に説明を省略した「外交官と外交家」の問題がむしろ重要ではないかとの問題提起があった。フロアからは、高報告に示された外交過程についての確認、また川島報告に示された中華民国北京政府外交の具体的成果についての質問が出されるなど、詳細な議論が展開された。また、高報告が具体的な交渉過程を議論し、川島報告が比較的大きな論点を提示したこともあり、両者が比較的かみあったかたちになったと思われる。

(川島真:北海道大学)

分科会C-3 アメリカ政治外交2

田中俊弘会員(麗澤大学)はカナダ外交史を専攻する若手研究者であるが、この分科会では外交の発展に関する考察について発表した。カナダは1867年には連邦を形成したが、外交面については、依然として英国の管轄下に置かれていた。しかし19世紀末から20世紀初頭にかけて、カナダも自前の外交政策を取る必要性が出てきていた。実際に1909年には小規模ながらカナダの外務省(対外関係省)が設立されている。その後、一般的にはM.キング首相がカナダ外交の英国離れを促進するような政策を展開したとされる。田中報告はこうした解釈に疑問を投げかけ、キングの首相の役割を過大評価すべきでないし、政党間の意見の相違(自由党と保守党)もさほど大きくなかったのではと指摘した。さらに英国とカナダをつなぐ総督の役割がこれまで見落とされてきたと指摘し研究の必要性を強調した。

討論者の吉田健正会員(櫻美林大学)はカナダ外交を理解するうえで、何をその研究対象とするかという根本的な課題についてコメントし、田中報告への疑問点をいくつか指摘した。フロアーからは、カナダと英国のみではなく、カナダ−米国間の実務的な政策協議の必要性、あるいは日本からのカナダへの移民問題(ルミュー協定)、というようなより多角的な視点からの分析を行うべきではないか、というコメントもあった。

(加藤普章:大東文化大学)

分科会C-5 東南アジア

第1報告「1990年代初頭に提唱されたマハティール・マレーシア首相のEAEG構想についてーその歴史的評価に向けての一考察」(塩谷さやか会員・早稲田大学大学院)は、EAEG構想がいかにして立案され、各国とのやりとりの中でいかに変質したのか、また、構想とマハティールの個人的世界観・国内政策との関連性、地域統合の動きとこの構想との関連性などを検討して、構想の歴史的評価に一定の貢献を果たすことを試みたものであった。討論者の金子芳樹(独協大学)会員からは、(1)構想はマハティールの思いつきであってもそれをバックアップする体制ができていることは評価すべきもの、(2)APECとの関連性、(3)EAEG構想がうまくいかずに、なぜ現在の「ASEAN+3」がスムーズに動いているのか、この10年間の変化の背景、などの有意義なコメントと質問があった。

第2報告「マレーシア映画のあゆみ−戦争映画にみる四半世紀」(山本明子会員)は、「Embun」というマレーシア映画にみるマレーシアの歴史観や文化の現在形を紹介した報告であり、日本国際政治学会ではこれまであまり取り上げられなかった映画を題材にした報告であった。討論者の金子会員からは、(1)映画にみる日本―マレーシア関係や、国際関係という視点があまり伝わってこなかった、(2)今なぜ日本軍政史の映画が製作されるのか、その背景の説明が必要、などのコメントがなされた。

フロア参加者は10名余とあまり多くなかったが、第1報告には、(1)EAEGと「ASEAN+3」に対するアメリカの反応の違い、(2)アイディアにすぎないEAEGが存在しつづけることの意味、第2報告には、1970年代以降のマレーシア映画は非マレー人の観客が想定されていないことの問題点などの質問や指摘がなされ、活発な90分間であった。

(田村慶子:北九州市立大学)

分科会C-7 アフリカ

2003年度研究大会におけるアフリカ分科会では、「アフリカにおける民主化の現状とその課題−南部アフリカの事例を中心に−」というテーマの下に以下のような形で研究報告を行った。

報告者

  1. 青木一能(日本大学)「民主化定着期における立法府および政党機能」
  2. 遠藤貢(東京大学)「民主化の再検討:政治制度と政治実践の狭間」

討論者

  1. 片岡貞治(日本国際問題研究所)
  2. 池田潔彦(外務省)

司会 小田英郎(敬愛大学)

まず報告者の青木は、脆弱ではあるが、アフリカの民主化が不可逆的な過程であると指摘し、いわゆる導入期から定着期に向かうための制度とその運用の改善をとくに立法府と政党機能の強化に焦点を絞って検討した。それらの言及について、約10年間の南部アフリカ諸国の民主化過程とそこに表出した特徴点を事例として掲げ、実証を試みている。次の報告者の遠藤会員は、導入されたアフリカにおける民主化が定着期に入っているとする見解には懐疑的であることを指摘し、政治制度と政治的な実践の間の関係を峻別して検討する必要があることを主張した。また、憲法に関して民主化過程との関連で注目すべき点であり、遵法精神を含めて市民権の確立という課題から憲法の位置づけ・意味づけの実態を検討していくべきと指摘した。ここでも同じく南部アフリカの事例を中心に言及が行われた。これらの報告に対して、片岡、池田両討論者から、各々違う視点からの指摘がなされ、全体としてはフロアーからの質問・意見も含めて活発な議論が展開されたといえよう。なお今後とも、アフリカの諸々の研究課題を多角的に分析し、意見交換するために、こうした複数の報告者と討論者による研究報告を行っていきたいと考える。

(青木一能:日本大学)

分科会C-8 国際統合1

本分科会では、アジアと欧州における地域統合に向けての動きについて2名の会員から報告があった。まず、田中紀子会員(関西学院大学大学院)が「アジア地域のレジーム形成−チェンマイ・イニシアティブとIMF」と題する報告で、ポストアジア金融危機におけるアジア地域協力の成果であるチェンマイ・イニシアティブを新機能主義、制度の効率性、政府間主義の3つの仮説から、特にASEAN+3のメンバー国間の交渉過程に着目して考察し、地域レジーム形成過程での日本のイニシアティブの重要性と、日本−ASEAN諸国の早期の合意形成が鍵であったと述べた。討論者の須藤季夫会員(南山大学)から、国際レジーム論の包括的なレビューの必要性、レジーム形成の仮説以外の要因の検証、東アジアにおけるASEAN+3という枠組みが生起した理由と国際機関との関連性、交渉経緯における第一次資料の検討の4点が指摘された。

続いて、植田隆子会員(国際基督教大学)の報告「欧州連合の軍事的・非軍事的危機管理―NATO,OSCEとの連関からの考察」は、2003年に入って急速に進展したEUの危機管理の理念と実態を現地調査に基づいて明らかにした。同年1月より警察ミッション(於ボスニア)が始動、3月末からはNATOの協力を得てマケドニアで軍事的危機管理が、6月からはEU独自の軍事作戦がコンゴ共和国で実施された。これらは国連の決定を基礎としている。EUが非軍事的危機管理に乗り出したことにより、OSCEの紛争防止活動は中央アジアに重点を移行しつつある。松本八重子会員(亜細亜大学)ほか多数の質問が出、報告者が説明を加えた。

(小久保康之:静岡県立大学)

分科会C-10 安全保障1

この春まで朝日新聞のワシントン特派員をつとめた三浦俊章会員が、9・11以後のブッシュ政権で大きな力をもってきたネオコンといわれるグループの安全保障論について、理論的側面だけでなく現場の議論をまじえて以下の報告を行った。

ネオコンの出身には2つの流れがある。一つはアービング・クリストルら左からの転向者である。もう一つは、民主党のタカ派でならしたヘンリー・ジャクソンにつながるリチャード・パールらのグループである。かれらの安全保障観の特質は、(1)道義的明快さをもとめる善悪二元論、(2)米国の価値実現のためには、先制攻撃を含める武力行使をいとわないこと、(3)国連などの国際機関・国際協調への強い懐疑心などである。また、彼等の自己意識としては、(1)つねに少数派で攻撃されているという意識が強く、(2)ヨーロッパに対する劣等感が強い、などがあげられる。政府部内にはウォルフォウィッツ国防副長官やエイブラムス国家安全保障会議上級部長、ボルトン国務次官らがいる。彼等の多くは湾岸戦争時に政府部内にいて、フセイン体制を倒さずに戦争が終ったことを悔やんでいる。G.W.ブッシュ大統領も、湾岸戦争を経験したわけではないが、そういう心情をもっている。

ただ、9・11 以後の米国政治の動向をすべてネオコンのせいにすべきではない。 彼等は過大に評価されてきた面がある。政権内のネオコン支持派の数は20人ほどで、 ひきつづき現政権の勢力として存在しようが、少数派でありつづけることもまた事実である。最後に日米関係について、ネオコンと日本政府との関係は人脈としてほとんどないことにも言及した。以上の報告について、山本吉宣会員がネオコンとユニポラーシステム、力の信仰、レジーム・チェンジ、そして帝国主義などとの関係について理論的なコメントを行ったあと、梅本哲也、坂本正弘、川上高司、村田晃嗣らの会員から質問があり、白熱した討論が展開された。ジャーナリステックなテーマだったが、よく整理された報告だった。また、時宜にかなったテーマであったためか、分科会ながら大勢の会員が参加した。

(土山實男:青山学院大学)

分科会C-12 トランスナショナル1

2003年秋の研究大会トランスナショナル分科会は、C-12《アジアの外国人問題》とD-6/E-6《市民権と多文化主義》との2つのセッションをもち計5つの報告をいただいた。今回は、分科会責任者に対して報告の申し出をいただいた会員を中心にセッションを組んだので、報告者は若手研究者で構成されることになった。「国境を越える人口移動と国際政治および国内政治」を研究する人々の層が着実に厚くなっていることが感じられた分科会であった。

本セッションでは、開発途上国の国境を越える人口移動とエスニック問題に関する報告をまとめた。明石純一会員(筑波大学大学院)による「台湾の外国人労働者の分析―1990年代の政策転換の帰結」では、台湾政府が1992年に外国人労働者の本格的導入に踏み切ったことの政治・社会的影響、とくに外国人労働力の受け入れと排除をめぐる論争が台湾に発生したことと、外国人労働力導入に反対する国民への台湾政府による正当化の試みについて報告されたが、それはまだ台湾政府の対応を十分考察するまでには至っていないようであった。

木村真紀子会員(慶応義塾大学大学院)による「脱植民地化、国境形成とエスニック紛争―インド北東部におけるナショナリズム運動と移民排斥を事例に」報告では、インド北東部アッサム州におけるヒンドゥ系住民とインド独立後流入したイスラム系移住者との間のエスニック紛争の事例紹介と、その理論的含意について論じられた。しかし、多くの会員にはなじみの薄いインド北東部事情の報告の主旨が十分理解されたかどうか不安だが、研究内容は、明石会員同様、今後の発展が期待される。

(関根政美:慶應義塾大学)

分科会C-13 平和研究

本分科会では、森戸幸次(静岡産業大学)会員「中東の戦争と平和の条件:なぜ和平プロセスは破綻するのか」、北村治(ロンドン大学大学院)会員「世界政治と世界市民:カントの永遠平和思想の現代的位相」、古内洋平(一橋大学大学院)会員「紛争後の国民和解:カンボジアを事例に」がそれぞれ報告された。

森戸報告は、1993年9月の歴史的和解といわれたイスラエル・パレスチナ間の「オスロ合意」が調印されてから10年間に武力対決の道に突き進んだ背景が仔細に述べられ、オスロ合意崩壊後に和平再生をめざす米国などが提唱した「ロードマップ」の限界とその問題点の解明を通じて対立の根深さ、解決の至難さを明らかにした。北村報告は、全般的な国際政治理論の最近の動向を踏まえ、カントの永遠平和思想に見られる「世界市民」性に着眼した試みであったとはいえ、時間配分や論旨のまとめに欠けるものとなったことが悔やまれる。古内報告は、冷戦終決後に顕在化した国内紛争後の国家・社会における国民和解について論及され、過去の人権侵害の処理と国民和解の両立可能性をカンボジアの事例に求めたものであった。とくに、そこではカンボジア社会開発センターフォーラムやカンボジア記録文書センターにおけるアンケート調査に依拠した過去の個人の記憶と責任の所在の変容という困難な課題に直面しつつある現状が強調された。

(佐藤幸男:富山大学)

分科会D-1/E-1 欧州国際政治史・欧州研究・国際統合共催

(D-1)

金子新(慶応義塾大学大学院)会員報告「西ドイツの西側統合路線の形成とシューマン・プラン」はシューマン・プランの起源とドイツ再軍備の関係に焦点をあて、東西分断と「ドイツ問題」への対応という欧州国際政治の中で欧州統合の起源を論じた。討論者の森井裕一会員(東京大学)は50年代初期のアデナウアーの対仏・対米関係の位置づけが60年代の核問題にどのような影響を与えたのか、また、50年代初期のボンにとって仏ソ連携の脅威はどの程度深刻であったのかを質した。フロアからは外交政策形成におけるアデナウアーのリーダーシップの評価などの質問が出、活発な議論がなされた。

小川浩之(京都大学)会員報告「イギリス外交・通商政策の転換とコモンウェルス、1956−57年」では、オーストラリアとのオタワ協定再交渉、カナダとの二国間FTA協議を通じて、イギリスの第一回EEC加盟申請に至る相対的なコモンウェルス離れと欧州統合への接近の背景が論じられた。討論者の福嶋輝彦会員(桜美林大学)からオーストラリアの通商政策や同国のイギリス、日本との関係を中心に補足説明がなされた。細谷雄一会員(敬愛大学)、小林正英会員(尚美学園大学)、芝崎祐典会員(東京大学大学院)らから、先行研究との相違点、EFTA設立との関連などをめぐり、質問が出された。

(植田隆子:国際基督教大学)

(E-1)

まず岡部みどり会員(東京大学大学院)の報告「EU統合と『包括的移民政策』−EU難民・移民政策の『対外』政策的側面」では、EU発足後のEU政策のうち、難民・移民政策分野では従来型とは異なる「超国家型」政策形成が見られる点を指摘した。1999年のタンペレ首脳理事会で、EUは同政策を、「移民現象の発生源(root-cause)」の除去を目的とする移民出身国と受入国との交渉、即ち「対外政策」の一部として位置づけたが、この政策は、既存の加盟国政策の転用ではなく、「EU=超国家」次元に新たに成立したものであった。討論者の庄司克宏会員(横浜国立大学)は、警察・司法協力の展開について紹介しつつ、EU政策分野の超国家化=EU規範化が、同分野においても指摘できる点を示唆した。

次いで、永澤雄治会員(東北文化学園大学)の報告「EU東方拡大の財政コストと外交戦略」では、政治経済学的視点から拡大の費用便益が示された。同報告では、拡大に伴うEUの財政コストと中東欧の加盟によるEUの政治経済的利益等が検討され、経済的利益ではEU拡大が説明し得ず政治的視点が必要となることが論じられた。討論者の小久保康之会員(静岡県立大学)からは、EU拡大は経済的費用便益を考慮した結果ではなく、政治的に決断された側面が強いという指摘がなされたほか、福田耕治(早稲田大学)、林忠行(北海道大学)、大中真(桜美林大学)の各会員からも質問が出され活発な議論が行われた。

(小久保康之:静岡県立大学)

分科会D-2/E-2 アメリカ政治外交3

まず高原秀介会員〈同志社大学)の「ウィルソン政権と戦後東アジア・太平洋をめぐる諸構想」は東アジア秩序に向けてのパリ会議の意義を強調した上で、主な政策決定者・機構の構想を明らかにし、大統領の移行が重要であったが、この作業がワシントン会議で開花したと指摘した。 次に横山歩会員〈中央大学大学院)による「クリントン政権の民主化政策」はとくに1998年のイラク解放法の成立過程に焦点を当て、クリントン政権のイラク民主化政策を検討した。

最後に山田敬信会員(名古屋外国語大学)の「ジョンソン政権と『貧困との戦い』」はこの計画の開始と展開、そして行き詰まりに至る政治過程を経済機会局を軸に議論し、その政治的遺産を考察した。

各報告後、フロアとの活発な質疑応答があった。

(佐々木卓也:立教大学)

分科会D-4/E-4 安全保障2/3

(D-4)

佐藤丙午会員が、小型武器問題に対する国際社会の取り組みの過程を説明すると共に、この問題が現在どのような課題を有しているか、また、国際関係論の立場から、どのような理論的インプリケーションを見ることができるかについて報告した。小型武器問題は、冷戦後のミクロ軍縮の一部として大きな注目を集めているものである。90年代の初頭にガリ国連事務総長が提起した小型武器問題は、その後様々な国際機関やNGOなどが対処してきた。それら多種多様な争点は、2001年7月に開催された国連小型武器会議において総括がなされ、国家レベル、地域レベル、国際レベルにおいて各主体がいかなる行動を行うべきかを明記した行動計画の採択に至っている。佐藤会員は、採択された行動計画において示された内容は、政策手段を列挙したものであったがゆえに、各主体がそれぞれの国益の実現を目的としてその行動計画を利用していると指摘した。もっとも、政治目標を明確にせず、政策手段を特定する方法は、さらに多くの主体の能動的な関与を引き出す上で効果があったことから、小型武器問題は、国家、国際機関、NGOなどの市民社会の有機的な協力関係を考察する上で一つのモデルケースになると論じている。

発表に対して、討論者の宮坂直史会員は、自身の小火器・軽火器問題に関する研究を説明し、外務省を中心とした日本の対応について補足説明をした後、国際規範の生成と組織化を説明したフィネモア等を引きながら、小型武器問題で構築されつつある規範は、規範構築の理論の中でどの段階にあるかについて質した。規範の問題については、工藤会員、望月康恵会員、石川卓会員から質問があった。また、宮坂会員は、この問題に日本が関与する上で、どのような利益があるのかを質問した。これに対して佐藤会員は、各国の利害が絡まるゆえに、規範が発展して組織化の段階に進むには時間がかかると述べた。さらに、日本は北朝鮮やロシアの小型武器の拡散に懸念を持つべきであり、小型武器問題への取り組みの背景には、この問題に対する懸念があるとした。また、輸出管理レジームとの関連で、山本武彦会員から小型武器問題において輸出管理レジームが形成されるのは困難ではないかとの指摘がなされた。司会は志鳥学修会員があたった。

(E-4)

水本義彦報告(「ヴェトナム戦争における英政府和平努力1965−67」)は、近年公開された政府資料に依拠して、ハロルド・ウィルソン首相の和平努力の変遷を追ったものである。報告の冒頭で、戦後英政府の対インドシナ政策の伝統との関連を指摘し、続いてウィルソンの調停外交に秘められたさまざまな目的や、その試みの失敗要因が分析された。報告の結論によれば、調停外交を失敗に導いた最大の要因は、ウィルソン自身が主張しているように英米関係の悪化に求められるのではなく、中ソ対立の展開に関する彼の認識不足に求められるものであった。水本報告に対して、討論者の永野隆行会員からは、同時期に進められていたスエズ以東からの撤退に関する議論とヴェトナム政策との結びつきについて質問があり、また1954年のジュネーブ会議における共同議長としてインドシナ休戦に導いたとのイギリスの自負心のようなものが、自らの行動への制約・障害になっていたのではないかとの指摘がなされた。さらに、半澤朝彦会員、金成浩会員、橋口豊会員、柴崎祐典会員、竹村卓会員らからは、イラク戦争におけるブレア政権の対米政策との比較、ソ連側の対ヴェトナムアプローチ、同時期に進められていたEC加盟問題との関連、デタントとイギリス外交など、イギリスの対ヴェトナム政策をより広い視点から捉えようとする質問やコメントが寄せられ、活発な議論が展開された。

(土山實男:青山学院大学)

分科会D-5/E-5 国際交流1/2

本年度の大会では、「転換期の国際文化交流」と題し、国際文化交流政策に関する二部構成の分科会が企画された。前半は米国と欧州の政策に関する二本の研究報告、後半は日本の政策形成を担う各省庁および機関の関係者四名によるパネルディスカッションである。研究者に加え、実際の政策担当者を招く形で、国際交流を政策的見地から分析・議論したことは、当分科会として初めてであったのみならず、日本国際政治学会においても珍しい試みであり、メディア関係者を含む多方面からの出席者を得ることができた。

前半の研究報告セッション「『民主主義の帝国』の時代の国際文化交流-歴史的検討」では、ポスト冷戦の世界において、とりわけ「9・11」後、欧米において国際交流や「文化」が国家の対外政策や開発政策等と結びつけられて戦略的に活用されている状況が確認できた。同時に、牧田報告(米国)では「リベラルな国際文化交流」の伝統、川村・岸報告(欧州)では「アイデンティティとしての文化」の理念という、狭い意味での国益を超えた国際関係運営を追求する歴史的潮流が存在していることが、実例に基づき論証された。討論者の田中会員およびフロアーからは、国際文化交流に関する実証的な研究を行うことの重要性が指摘され、論理枠組みの発展への手がかりとなるコメントが寄せられた。

後半のパネルディスカッション「日本の国際文化交流政策の新展開」では、能化正樹氏(外務省)、吉尾啓介氏(文化庁)、境真良氏(経済産業省)より、それぞれ対外政策、文化政策、コンテンツ産業政策の文脈で、国際文化交流がどのように扱われるようになっているか、現場のエピソードを交えての解説があった。坂戸勝氏(国際交流基金)からは、現在独立行政法人に移行中の同基金が日本の国際文化交流政策に果たす役割について説明が加えられた。全体の議論の中で改めて確認されたのは、日本において、国際文化交流が、さまざまな政策分野で重点施策として積極的に実践されていることである。また、統一的なイニシアティブや総合調整システムが依然として欠けている一方で、各省庁・機関の関係者間では、縦割り行政の壁を超えた連携・協力関係が発展しつつあることなど、研究者の側からは見えにくい政策形成最前線の実情が明らかになった。時間の関係で、理念的な部分に関する議論や、フロアーとの間の質疑応答を十分に行う余裕がなかったのは残念であった。

半日のセッションとしては盛りだくさんな内容で、消化不良な部分も残ってしまったが、政策科学としての国際文化交流研究の重要性を提起した非常に有意義な分科会となった。それと同時に、グローバル化の文脈の中で、政府以外の主体を含めた、より広い意味での国際文化交流を研究することの必要性もあらためて明らかになった。今回の企画を一歩とした国際文化交流研究のさらなる発展を祈るとともに、ご多忙の中を筑波で「揃い踏み」して下さった関係者一同に、感謝の念を表したい。

(平野健一郎:早稲田大学)

分科会D-6/E-6 トランスナショナル2

本セッションでは、「市民権と多文化主義」をテーマに、場所を前日のアジアから先進諸国に移し、国境を越える人々の市民権とその行使状況に焦点を置いて議論をした。山崎望会員(東京大学大学院)の「現代政治利理論からみた欧州――市民権論の観点から」と、工藤義博会員(一橋大学大学院)の「カナダにおける多文化レジームの変容」の報告は、地域名がタイトルに含まれているが理論的研究の性格が強い。他方、鈴木規子会員(日本学術振興会特別研究員)の「EU市民権と移民の地方参政権行使の実態」報告は、EU市民権に基づく地方自治体選挙に外国人住民がどう関与を示したのか、2000年のフランスの地方選挙を事例とした調査報告だった。フランス政府の外国人参政権への消極的態度がその結果にも現れていたと報告された。

市民権に関するセッションは2002年度の大会に続くものだが、それは近年、市民権の問題が政治学や社会学において取り上げられることが多くなったことの反映である。それはEU市民権のように国家市民権を越えた新しい市民権が設定され実践されるようになったことや、移住者が移住先に定住し地域に根付くことにより市民権の付与と行使に対する要求が高まったからでもある。さらに、日本でも住民投票や地方参政権の付与が問題になってきてるという事情を反映している。他方、人口移動のグローバリゼーションは移民・難民、定住外国人を受け入れた諸国の外国人排斥論を強め、改めて移住者の権利と義務に関する議論とその明確化が必要になったからである。山崎会員は理論的な観点から国境を越える市民権の可能性、工藤会員はカナダの多文化市民権をめぐる議論と関連する出来事を丁寧に紹介し、両者とも従来型の国家市民権による国家統合の困難さが増していると報告した。いずれの報告も移民・難民の統合問題を通して、グローバリゼーション時代の国民統合の困難さと重大さを示してくれる貴重なものであった。市民権をめぐる議論は、工藤・山崎会員の議論に参加会員も加わって盛り上がり、空腹を忘れたセッションは午後1時過ぎまで続いた。ご苦労様でした。

(関根政美:慶應義塾大学)

分科会D-7 日本外交史2

日露戦争は、両交戦国のいずれか一方ないし双方の領土内で戦われたのでなく、中立国たる韓国、とくに中国(清朝)の東北部を戦場として戦われたという意味で、特異性を持ち、また種々の問題も生じた。同戦争と韓国の問題については、昨年度の研究大会で取り扱われたので、今年度は、同戦争における中国の立場をめぐる諸問題について、1時間半という限られた時間内ながら松村正義会員の司会のもと、30名を越える参加者を前にして稲葉千晴、川島真両会員、さらに北京大学から王立新教授(通訳:廖敏淑氏)の参加も得て、有益な報告と熱心な討議が展開された。

稲葉会員からは、「日露戦争直前に日本の出先機関と袁世凱・直隷総督との間に対ロシア共同諜報機関の設立が決定され実行された結果、実際の戦場となった中国東北部で諜報上に大きな成果があり、戦後には、袁以下多くの中国人に日本政府から叙勲が行なわれた程であった。当時の日中協力の実績が戦後の両国間の友好関係へ連なった一因とも考えられる」旨の報告があった。川島会員より、「現在の中国では、まだ日露戦争を正面から取り組んだ研究書もなく専門の研究者もいない。当時、中国は、日本の要請で中立の立場を取ったことで、その中立も日本寄りであったといわれるが、必ずしもそうでなかった」との発言がなされた。王教授からは、「指摘されたように、中国では日露戦争と中国との関係についてまだ余り研究がなされていない。しかし当時の中国が中立の立場を取った理由には、戦後に自国の権益を取り戻そうと考えていたことや、中国が近代国際法をすでに身に付けたことを世界に示したかったことも挙げられてよい」旨の発言があった。

フロアからは、日露戦争時のアメリカと中国との関係について(荒木義修会員)や、スパイ活動と広報活動との関連(横手慎二会員)についてなど活発な質問や意見の開陳・交換があり、時間の制約上すべての質問に対応できない程であった。

(松村正義:元帝京大学)

分科会D-9 ラテンアメリカ

ラテンアメリカで民政移管が実現して久しいが、政治アクターとしての軍の自律性は失われていない。浦部浩之会員(愛国学園大学)の報告「民主化期ラテンアメリカの文民統制確立の課題」は、制度改革が行なわれていないチリとクーデター未遂事件を起したパラグアイおよびエクアドルを例に、民主主義定着のための民軍関係のあり方を緻密に検討したものである。とくにゲームのルールを規定する法治主義、市民社会の組織化、アクターへの信頼関係が重視された。討論者の二村久則会員(名古屋大学)は冷戦後の軍の存在理由を改めて問い、軍の政治化の背景としてポピュリズムとの関連や、パトロン・クライアント関係を指摘し、参加した会員の間からも活発な質疑や議論が交わされた。

(乗浩子:帝京大学)

分科会E-8 国際政治経済2

貿易関連のテーマを扱った本セッションでは、最初に小尾美千代会員(北九州市立大学)が日米自動車摩擦と自動車産業のグローバル化の関係について報告し、市場のグローバル化が進むと二国間交渉においても市場メカニズム型の調整がとられるようになることが実証的に示された。続いて濱田太郎会員(明治大学大学院)が中国のガット・WTO加盟の経緯に関して報告し、中国が特別なセーフガードの創設などの差別的な加盟条件を受け入れたこと、そしてそれが他の途上国の先例になっていることが指摘された。小尾報告に対しては、何故貿易に関する諸規範の中で自由化原則のみに分析を限定したのか、また市場メカニズム型の調整が採られるようになったことを企業の経済的な利害から説明できないかといったコメントが、そして濱田報告に対しては、途上国に対する差別的な待遇が加盟後の途上国の貿易政策や反グローバル化にどのように影響しているのかといった疑問が、討論者の山田敦会員(一橋大学)から提出された。またフロアからは、理念か、それとも物質的な利害かという理論的な問題に関して、グローバル化に対する企業や産業の認識の変化が重要であるとのコメントがあり、討論者との間で活発な議論が行なわれた。

(山田高敬:上智大学)

※今号に掲載できなかった部会、分科会の概要は次号に掲載する計画です。

《分科会活動報告》

《国連研究分科会の活動報告》

2003年12月26日(金)、国連大学高等研究所において研究会が開催された。毛利聡子氏(明星大学)によって、「市民社会によるグローバルな公共秩序の構築―世界社会フォーラムにみるオルタナティブの模索―」というテーマの報告がなされ、世界社会フォーラムの起源と特徴が説明された。次に、このような市民運動の遠景としての国際NGOに関して、社会運動との連携、国際機関・国家間フォーラムとの関係、国家との関係、多国籍企業との関係が検討された。最後に世界社会フォーラムの展望について、収斂か、分裂か、地域版社会フォーラムが興隆するのか、などが検討課題とされた。市民社会から発生した世界社会フォーラムという新しい現象に関する興味深い報告であった。宮崎、吉川、樋野、吉村、横田、早川各会員からコンディショナリティと貿易自由化の関係、NGOのアカウンタビリティ、市民社会の重層化、イシュー・スぺシフィックから包括的テーマ設定への移行の傾向、市民社会、NGO、社会運動と世界社会フォーラムの位置づけなどに関する質問が出され活発な討議がなされた。

(庄司真理子:敬愛大学)

《研究分科会責任者連絡先(2004年2月現在)》

※変更があった場合は、すみやかに一橋大学事務局にお知らせください。

◆ブロックA(歴史系)
1日本外交史(黒沢文貴)
2東アジア国際政治史(川島真)
3欧州国際政治史・欧州研究(植田隆子)
4アメリカ政治外交(滝田賢治)

◆ブロックB(地域系)
1ロシア・東欧(永綱憲悟)
2東アジア(平岩俊司)
3東南アジア(田村慶子)
4中東(酒井啓子)
5ラテンアメリカ(恒川恵市)
6アフリカ(青木一能)

◆ブロックC(理論系)
1理論と方法(飯田敬輔:分科会代表幹事)
2国際統合(小久保康之)
3安全保障(土山實男)
4国際政治経済(山田高敬)
5政策決定(飯倉章)

◆ブロックD(非国家主体系)
1国際交流(川村陶子)
2トランスナショナル(関根政美)
3国連研究(庄司真理子)
4平和研究(佐藤幸男)

◆東京地区大学院生研究会(野崎孝弘)

◆関西地域研究会(豊下楢彦)

◆名古屋国際政治研究会(定形衛)

◆九州・沖縄地域研究会(薮野祐三)

委員会便り

《『国際政治』141号特集論文募集》

(追記、既に締切期日は過ぎておりますが、ご参考まで掲載致します)

『国際政治』141号(2005年5月刊行予定)は「国際政治のなかの中東」を特集テーマとすることになりました。特集論文を公募しますので、奮ってご投稿ください。

〈特集の趣旨〉

中東諸国は、「中東」という用語自体が西欧列強のアジア進出の過程で措定された地域概念であることからもわかるように、歴史的に西欧との関係においてその域内外の政治力学が左右されてきた地域だと言える。ヨーロッパの植民地支配を脱却した後は、欧米先進諸国に対する石油供給地および米ソ二極対立の焦点のひとつとして、中東は常に欧米との関係を軸に国際システム上の位置付けが規定されてきた。国内社会の基本的構造の変質から国家形成過程に至るまで、中東諸国がさまざまな形で欧米諸国の国際的対外戦略の影響を被る一方で、それに対抗する地域内在的な政治メカニズムが越境的影響力を持ち国際化するという双方向のベクトルが見られる。

本特集では、中東地域における政治力学と欧米諸国の対外政策との関係を、歴史的考察を含めて取り上げる。とくに現在展開されているアメリカ主導の「対テロ戦争」という新しい対中東政策が域内外の政治にいかなる影響を与え、それを歴史的にどう位置付けるかに着目したい。

投稿希望の会員は2004年3月末までに酒井啓子および松永泰行宛、論文題目と要旨(400字程度)をご連絡ください全体の構成などを考慮して、改めて当方より投稿をお願いします。原稿の最終締切は、2004年12月末です。なお、特集論文として掲載するかどうかは最終原稿を踏まえて判断しますので、予めご承知おきください。

(編集責任者:酒井啓子・松永泰行)

《英文雑誌編集委員会より》

本学会の英文雑誌刊行は故鴨武彦、故佐藤英夫元理事長の悲願であり、山本吉宣元理事長が作業を軌道に乗せ、私自身が編集長として準備に関わりはじめたのが1999年、雑誌が刊行開始したのが2001年です。皆様のおかげで内容について内外の評判も高く、本学会の世界的な名声を一段と高めていることは誰しもが認めるところです。昨年には『タイムズ・ハイヤー・エジュケーショナル・サプリメント』でも称賛を獲得しました。本学会の英文雑誌刊行に刺激され、アジア太平洋地域の英文雑誌市場は新規参入が増加しています。韓国、シンガポール、香港、マレイシアなどです。いずれ中国や台湾、タイやフィリピンなども必ずや参入してきます。

国家主権、同盟、アイデンティティー、テロ(近刊)など外交史を含めて実証的なものがほどよく均衡しているだけでなく、地域のなかでも日米同盟、中国にとっての9・11、アセアン外交、豪州の東チモール関与、韓国・北朝鮮のアイデンティティー(近刊)、日本のエネルギー政策など、常にカレントな問題の鋭い分析や歴史的構造的な理解を助けるものが満載しています。論文掲載著者の地域分布からみても、米国が3割、欧州などが2割、アジア太平洋が3割、日本が1割、その他が1割と広範囲です。アジア太平洋のなかでは英語を公用語とするところから当然に多いですが、そうでないところも中国を含めて次第に増加しています。本学会員の投稿と論文掲載は着実に増加しています。ご覧になればお分かりのように、本学会員の掲載論文はまったく見劣りしないだけでなく、日本からの知的な発言として最上のものとなっています。しかも、英文雑誌刊行を日本の本学会が地球的視野で展開し、知的フォーラムを供給し、世界中の学者、読者と一緒になってアイデアを生産流通消費を主導する一翼になっていることは本学会の貴重な財産だと思います。

特集は第1巻第2号で国家主権の理論的問題をとりあげて好評でした。雑誌刊行5周年(同時に学会創立50周年)の機会に、特集を企画しています。2005年冬から春に会議開催、2006年の5月か11月に、特集号刊行の予定です。創立50周年記念のひとつですので、その実行委員会にも調達支援をお願いします。いうまでもなく、雑誌編集長としての調達努力は全面的に開始しています。今回の特集号は「9・11以後のリベラルな世界秩序?――国際政治理論の効用と限界」(仮題)としております。

雑誌刊行における編集長の役割は産婆みたいなものです。いうまでもなく、論文の著者が母親です。しかし、過小評価されているのがレフリーです。雑誌刊行のためには編集委員だけでなく、最上のレフリーをどのような主題でもいつもお願いできる体制を整備する必要があります。それはまったく無報酬で世界各地の一流学者にお願いしています。雑誌の質はレフリーの質で決まります。この意味でも本学会の雑誌は世界共同の産物です。皆様がレフリーになることを依頼されましたら、迅速に真剣にコメントを返却してください。雑誌を良くするもの、悪くするものレフリー次第なことを是非念頭に置いて下さい。

(英文雑誌委員長:猪口孝)

《企画・研究委員会》

(追記、既に締切期日は過ぎておりますが、ご参考まで掲載致します)

2004年度研究大会(10月15日(金)―17日(日)、於:淡路国際会議場)の部会に関して、会員の皆さまからさまざまなご提案やご希望をいただきたく思います。また、若い会員を中心とした自由論題(部会)についての報告希望も募集いたします。もちろん、ご希望の皆さま全員にお約束できるわけではありませんが、参考とさせていただきますので、よろしくお願いいたします。部会報告についてはペーパー提出が義務づけられていることをお忘れなく。

2004年度部会企画案・自由論題報告希望をお持ちの方は、以下の要領で応募してください。

(1)明記してほしいこと
・氏名、所属、連絡先(住所、電話番号、e-mail等)。
・部会企画案もしくは自由論題報告テーマ、および趣旨(300-400字程度、それ以上でも結構です)。

(2)応募先
・電子メールにて、担当の天児慧までお送りください。

(3)締め切り
・期日が迫っており、申し訳ありませんが、2004年3月22日と致します。

応募者の方は以上の点の記入漏れがないようにご確認ください。その他、企画・研究に関するご意見・アドバイスも大歓迎です。

(企画・研究委員会主任:天児慧)

《対外交流委員会》

ISAの Governing CouncilにおけるNon-North American representative (2005-2006年)に、羽場久子が選出されましたので、ご報告申し上げます。よろしくお願いいたします。

(対外交流委員会:羽場久子)

《編集委員会からお詫び》

『国際政治』第134号は昨年11月に会員諸氏のお手許に届けられることになっておりましたが、諸般の事情から編集作業が遅れてしまい、大変にご迷惑をおかけしております。近日中にお送りできる予定で作業が進んでおりますので、もうしばらくお待ち下さるよう、お詫びかたがたお願いいたします。

(編集委員会主任:山影進)

《会計部報告》

昨年度の総会で値上げが決定されましたが、 今年度も高い水準で会費納入を行なっていただき、 会員の皆様には心より感謝申し上げます。 今年度は英文誌・和文誌共に科学研究費の補助もあり、 英文誌・和文誌の充実において 財政面でも安定することとなり感謝しております。 運営委員会で、以下の3点が決定いたしましたので、ご報告申し上げます。

  1. 高齢会員の会費:70歳以上の高齢会員については、長年の学会へのご貢献に感謝し、会費を1万円とさせていただく。
  2. WISCの2005年シドニー大会に向けて、JAIRよりローン2000ドルを貸し出す(2006年まで)。
  3. 会計管理の更なる健全化・透明化を徹底するため、税理士による会計帳簿の財政管理チェックをお願いする。

以上よろしくご理解のほど、お願い申し上げます。

(会計部:羽場久子)

《『日本国際政治学会の半世紀』の配布について》

(追記、既に締切期日は過ぎておりますが、ご参考まで掲載致します)

この度、本学会の歩みをまとめた『日本国際政治学会の半世紀』(座談会編、活動年表編、歴代役員編の3部構成で70頁弱、B5版)を作成いたしました。昨年10月の年次大会に参加の会員には配布いたしましたが、3月末までにお申し出いただければ郵送いたします。

200円切手(送料)と送付先住所、氏名を記入した紙片を同封のうえ、NL委員会・波多野澄雄(筑波大学)あてに郵送してください。なお、ある程度希望者がまとまった段階で発送いたしますので、多少、時間がかかる場合があります。予め御了承ください。

海外在住の会員は切手の同封は不要です。

(ニューズレター委員会)

事務局便り

○ 役員・評議員選出方法の改定研究大会初日の10月17日に第5回運営委員会および第3回理事会が開かれ、ニューズレター100号および10月18日の総会で報告しましたとおり、役員・評議員の選出方法が改定されました。2001年度の外務省立入検査の際に指摘された組織上の問題を改善するためのものです。本学会の『寄付行為』第15条で「若干名」と規定されている評議員会が実際には600名以上に上り、財団法人における理事会の監視機関としての役割や機能を十分に果たしているとはいえないという現状です。そこで、今回の改定では、学会の従来どおりの運営や慣行をそのまま維持しつつ、『寄付行為』の規定に即した組織に再編すべく、従来の評議員を評議員選挙人、従来の理事会を評議員会、従来の運営委員会を理事会に読み替えるなど基本的に名称上の変更を行いました。つまり、評議員選挙人の投票により評議員が選出され、評議員会により理事・監事が選出されることになります。新たな選出方式は、今年度に実施される2004−2006年期役員・評議員選挙から適用されます。長年の名称が変更になり、しかも異なる意味で新たに使われることで、若干の混乱も予想されますが、会員の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

○ 第5回運営委員会が2003年10月17日(金)午後4時半−6時に、研究大会会場に隣接したオークラホテルフロンティアつくばで開催されました。報告・審議事項のうち、各委員会からのお知らせを除き、主なものは以下のとおりです。
  1. 25名の入会申込が仮承認されました。
  2. 役員・評議員選出の改定の提案が決定されました。
  3. 2004年研究大会を2004年10月15日−17日に、淡路夢舞台国際会議場で開催することを決定しました。
  4. 会費値上げに伴う、定年退職した高齢会員などの会費負担の軽減策について検討していくことを決定しました。

○ それに引き続き、第3回理事会が2003年10月17日(金)午後6時半−8時に、同じくオークラホテルフロンティアつくばで開催されました。審議事項は以下のとおりです。

  1. 第4回運営委員会で仮承認された16名、第5回運営委員会で仮承認された25名など、合計41名の入会申込が承認されました。
  2. 役員・評議員選出の改定案が承認されました。
  3. 2004年度研究大会を2004年10月15日−17日に、淡路夢舞台国際会議場で開催することを承認しました。
  4. 会費値上げに伴い、夫婦会員は各1万円、海外在住会員は1万4千円にすることを追認しました。

○ 第6回運営委員会が2003年12月6日(土)午後3時−6時に、法政大学現代法研究所会議室で開催されました。10名の入会申込が仮承認されたほか、高齢会員の会費負担問題の改善策、新たな方式による役員・評議員選挙の実施のための選挙管理委員会設置などについて審議が行われました。

(事務局長:李鍾元)

「日本国際政治学会ニューズレター No.101」

(2004年2月27日発行)

発行人 下斗米伸夫
編集人 波多野澄雄
筑波大学人文社会科学研究科